これまでジャズがつまらなくなった要因を幾つか挙げてきましたが、最後にもう一つ重要なことを指摘したいと思います。
ジャズの演奏には、ほとんど「世界観」というものが存在しません。
それもそのはずで、世界観を大事にするという概念は基本的にジャズ界隈にはないからです。
この「世界観の欠如」が、ダサい衣装、もっさりした態度、下手なMCを容認する原因であり、さらには演奏そのものを「上手いけどなんかつまんない」ものにしている原因ではないかと僕は推察します。
「世界観」とは、簡単に言えば、楽曲が持つイメージです。
プレイヤーがそのイメージを壊さないよう、あるいはいい意味で拡大させるように演奏することで、はじめて観客は楽曲の世界に浸れます。
それぞれのプレイヤーがそれぞれ好き勝手に弾いていては、イメージがまとまりません。
そういう演奏を聴くと、理由はわからないけどもやもやしてつまらなく感じるのではないかと思います。
「世界観の演出」はロックやポップスなどでは当たり前のことで、アマチュアバンドでも気を付けているはずです。
しかし、ジャズにはそれがありません。
というか、ライブのシステム上、事前にリーダーがそれぞれの楽曲に持っている世界観を提示し、メンバーで入念に確認するという作業ができないのです
じゃあ歌詞のある楽曲なら最初から世界観が提示されているから、それに従えばいいのではないかと思う方もいるかもしれませんが、ここでひとつお教えしましょう、自分が演奏する楽曲の歌詞を読み込んでいるジャズプレイヤーはほとんどいません!
仮にレパートリーとしている楽曲の歌詞を全て読んでいるというプレイヤーがいたとしたら、ものすご~くレアなケースです。
下手したら「変わってるね」とか「意識高いねw」と揶揄されるぐらいです。
ほとんどのジャズミュージシャンにとって、楽曲は手段にすぎません。
僕もずっとそうしてきました。
だって、そうとしか習ってこなかったので。
楽曲は思い通りのアドリブを弾くための手段、好みのヴォイシングを鳴らすための手段、気にいったアレンジをするための手段、です。
ですから歌詞なんぞ関係ありません。
メロディやコードといった記号を覚えて、次に過去の演奏を勉強、分析し、あとは自分の弾き方を模索するだけです。
そこであっと驚くようなことができればジャズ界隈からは受けますが、同時に世間からは敬遠されます。
僕もずっとこうして楽曲を手段としていろいろやってきました。
今となっては後悔してもしきれません。
2014年頃から、僕はジャズスタンダードの歌詞を読み始めました。
ジャズ演奏歴は10年を有に越えますが、恥ずかしながら初めてのことです。
手始めに、もうやりつくしてあきあきしているDays Of Wine And Rosesの歌詞を読んで、びっくりしました。
この曲は一般的にミディアムテンポでウキウキと軽快に演奏されますが、歌詞を読むと、バラード以外ありえないとすぐに分かります。
実際原曲もバラードのはずです。
なぜなら、それが一番この歌詞の世界観を表現しやすいからです。
では楽曲を自由に解釈して演奏することは許されないのか?
ここが難しいところです。
歌詞の世界観は概ねひとつであり、それに縛られてしまうと、皆同じような演奏になってしまいます。
じゃあ一旦歌詞をとっぱらって、原曲と全く違う演奏をしたらサプライズになるんじゃないか?そちらの方が観客も楽しめるのではないか?
……御存知の通り、これはジャズの原点とも言える発想で、半世紀以上前からあらゆるミュージシャンたちがそれを実践してきました。
そして現在では、あらゆるスタンダードがジャンルミックスも含めたあらゆる解釈でやりつくされたといっても過言ではありません。
ですから、「自由な解釈」は必ずどこか古くさくなります。
さらに無理をして新しさを追求すると、抽象的、実験的になり、余計に一般客を遠ざけてしまいます。
これから先、「楽曲の自由な解釈」に明るい未来があるとは僕には到底思えません。
ジャズスタンダードを歌詞の世界観を大事にして演奏すると、かなり古くさく、そして窮屈になってしまいます。
しかし、記号の解釈を推し進めた「新しいジャズ」「最新のジャズ」の結果が惨憺たる現状であるとすれば、改めて原点に立ち返り、それぞれのスタンダード曲それ自体が持っている世界観をしっかりと表現することに現代的な価値があるのではないかと思えてきます。
集客云々はともかくとして、歌詞を読み、きちんと楽曲の世界観を理解することで、その曲を弾く意志は確実に変わります。
古かろうが新しかろうが、世界観のある音楽は人の心に響くものです。