ギタリストのプレイには、何でも盛ってしまうという特徴があります。
一つはサウンドの自由度が高いこと、もう一つはギターヒーロー時代の名残でそうなるのでしょう。
まあギターが目立つソロやリフなんかはまだ分からなくもないですが、純粋な伴奏技術であるカッティングでもやたらと盛りたがる人が多いのがずっと不思議でした。
というか、ほとんどのギタリストは盛ったカッティングが普通のカッティングだと思っている節さえあります。
今悪い例として挙げているのでそした盛ったカッティングをしている動画の引用は避けますが、探したらそういうのはいっぱい出てくるでしょう。
じゃあ普通のカッティングって何?と思った人は、一度ナヨン(twice)の「POP」という曲を聴いてみましょう。
ナヨン
これの頭から入ってるカッティングが普通のカッティングです。
個人的には、楽曲のイメージを壊さず、グルーヴにちゃんと貢献している絶妙なカッティングだと思います。
これを聴いて「こんだけ?……つまんね」と思った人は盛ったカッティングが標準となってしまっています。
つまり、まだギターヒーロー脳だということです。
仮に「POP」を作った作曲家に「ちょっとこの曲にカッティング入れてくんない?」と依頼されて盛り盛りのカッティングを入れたら、センスを疑われて二度と呼ばれないでしょう。
ではもう一つ、近年の楽曲から「普通のカッティング」を。
マーク・ロンソン
ギターはものすごーく簡単なコードカッティングと短音カッティングのみ。
カッティングの教科書のエクササイズ1ページ目に書いてありそうな内容です。
ギタリストからしたら「つまんない」「眠い」「暇」と、ついつい盛りたくなる内容です。
しかしこれも盛ったら楽曲が台無しになりそうです。
だからこうした抑えたプレイできっちりグルーヴに貢献する必要があります。
仮にこの楽曲のギターオーディションがあったとき、盛ったカッティングをする人は間違いなくはじかれるでしょう。
そう、カッティングとは、アンサンブルの一員となり自己主張をできるだけ抑えてグルーヴに貢献するプレイのことを言うのであり、やたらと大きいコードを掴んだり、変なフレーズを足したり、3連ブラッシングとかパーカッション的な効果音で自己主張するプレイのことではありません。
ここがちゃんと分かっていて、一見地味でもアンサンブルに貢献できるカッティングをしており、それがミュージシャンを選ぶ立場の人の目にとまれば、”使える”カッティングの出来るギタリストと認識され、間違いなく仕事に呼ばれます。
カッティングを自分の武器にしたいと考えるギタリストはこの辺をよくよく考えて練習しましょう。
カッティングをどれだけ盛ったところでアンサンブルという視点からすれば邪魔でしかありません。