槇原敬之氏の逮捕で、いつものように「がっかりした」「残念」「もう曲を楽しめない」という意見が出ています。
あんなにポジティブで明るいメッセージを歌にできる人がなんで薬物をやめられなかったんだろう……? そう不思議に思う人、戸惑う人が多いようです。
しかし、冷静に考えれば何も不思議ではありません。
そもそもアーティストというのはダメな人がなるものだからです。
人によってダメ度合いは違いますが、プロまでいった人はだいたい社会のあっちとこっちの境界線のあたりにいると思っていいでしょう。
普通に考えて、「歌で食っていきたい」「漫画で食っていきたい」と考え、実行し、それを実現した人がまともなわけがありません。
ギター講師の僕だって十分ダメなのを自覚しながら生きています。
そして、ぎりぎりこっち側にいた人が何かの拍子に一歩あっちに踏み出してしまった、それがアーティストの犯罪行為です。
これは、そもそもダメな人が法的に「ダメだぞ!」と宣言されたというだけの話です。
だから別段驚くことではありません。
恐らく一般の人はアーティストのダメさを知らないか、一般論として知っていても自分の好きなアーティストだけは適用しないようにしているんだと思います。
そりゃそうですよね、憧れのアーティストが社会のクズ みたいな人間だと誰も思いたくないですからね。
そうやって「○○君だけは」「○○ちゃんだけは」と思い込んで、いざ逮捕されたら「裏切られた」と言うのはなんか違う気がします。
そもそも芸術なんてものは、クズのような人間から得も言われぬ美しい作品が生まれたことに驚嘆し、その不条理に嫉妬しつつもどこか安心し、遠く安全なところから楽しむものです。
それを勝手に人格者扱いされてしまってはとばっちりもいいところでしょう。
槇原氏の逮捕で我々が考えるべきことは、「作品と罪」でも「アーティストの復帰問題」でもなく、「一般人のアーティストへの誤解」問題です。
アーティストは聖人君子ではありません。
ただのヤバい人です。
社会のあっち側ぎりぎり一歩手前ぐらいにいる人です。
だからいい作品がつくれるのです。
それを安全圏から楽しませてもらっていることにまず感謝しましょう。
彼らが社会の十分こっち側にいたら、その作品はたぶん生まれていません。
そう考えると、仮に犯罪を犯してしまっても「ああ、一歩出ちゃったか……。罪は罪として償って、また戻ってきたらいい作品を見せてね」と言えるはずです。
これは犯罪に対して寛容になれということではありません。
ギリギリのところから我々を楽しませてくれたアーティストへのちょっとした恩返しのようなものです。
それさえも許せない人はもう芸術やエンタメとは一切距離を置いた方がいいでしょう。
ではここで「世界に一つだけの花」をどうぞ。
今聴くとまた味があっていいですねW
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