八幡謙介ギター・音楽教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介が音楽やギターについてつづるブログ

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研究が承認欲求のはけ口になると相手にしてもらえなくなる

ここ数年、ギターの奏法研究を目的とした動画やブログをよく目にするようになりました。

「ギタリスト身体論」を刊行した2009年からすると隔世の感があります。

僕も職業柄そういったものを目にすると一応読んだり観たりしてみるのですが、ほとんどは「う~ん…」と首を捻って途中でやめます。

なぜかというと、そういった研究の多くは自分のためにやっているように見えるからです。

場合によっては承認欲求のはけ口とも取れます。

自分はこんなに勉強してるんだぞ、ギタリストなのにこんなに解剖学に詳しいんだぞ、こんなに文献を読んだんだぞ、こんなに深く考えているんだぞ……。

それが前面に出てしまうと、読者(視聴者)としてはしらけてしまいます。

僕ですらそうなので、ギターをはじめたばかりの人からしたら何が何だかわからないでしょう。 

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実は2008年頃に「ギタリスト身体論」を書いていて、正にその問題に直面していました。

どうやったら読んでもらえるか、どう書いたら出版社が出そうと思ってくれるか……。

僕が取った作戦は、自分を消すことです。

当時はまだ滋賀にいて、誰にも知られていない状態でした。

だからこそ承認欲求もまだうずまいていましたが、そこをあえて押さえ、自分を消して徹頭徹尾読者に理解できるように書きました。

その結果、10年経っても読んでもらえる本になりました。

また、ブログも僕個人の考えとか欲求はできるだけ排除して書いています。

そうやって信用してもらえるようになったので、はっきりと言えますが、承認欲求のはけ口としての研究は絶対に相手にしてもらえません。

もちろんその逆で、身体操作の専門家を名乗りながら何も勉強しないのも信用されないでしょう。

一生懸命勉強し、専門家顔負けの知識を持っていても、アウトプットするときはその中の1割程度で十分です。

専門用語や予備知識は絶対に避けて通れないときだけ使う、自分がどれだけ勉強したか、苦労したかなんて一言も言う必要なし、「俺はこうして上手くなった」ではなく「みんなこうしたら上達するよ」という文脈で、常に読者に視点を合わせてアウトプットすれば、あとは内容がよかったら自然と立ち止まってもらえるようになります。 

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難しいのは、承認欲求というものは行間や、人の雰囲気ににじみ出ることです。

それは文章や話し方のテクニック、動画の編集技術で抑えられるものではありません。

 強いて言えば忍耐力を鍛えることで備わってきます。

そういえば僕もいまだにブログや教則本の文章を書くとき、必ず何かに耐えながら書いています(好き勝手に書いているだけと思っている人もいるでしょうが)。

これが言いたい! でもそれを書いたら我が出てしまい読者がしらける……でも知ってもらいたい、自分がどれだけ苦労したか、練習したか!!

たぶんまだまだそれらを抑え切れていない箇所もあるでしょう。

とはいえ、世の中に受け入れられる程度には我を抑えられているはずです。

 

何かを研究して発表したい、あるいはもうしているけどリアクションが薄いという人は、方法論や世の中の動きばかりを考えず、また、世の中が間違っている! 八幡は何かズルをしているに違いない! と悲観したり陰謀論にとらわれずに、一度立ち止まって自分を見つめ直してみるべきでしょう。

どこかに必ず承認欲求があるはずです。

それが見えたら、抑える訓練をしていきましょう。

そうして我を抑えることができるようになると、余計な個性が削がれていき、その奥にある本当の個性が出てくるようになります。

これは僕自身徹底的に実践したので間違いありません。

表現というものは、そうして引き算していくことにより、気がついたらそれが足し算になっているのです。 

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