横浜ギター教室でジャズを教えたりジャズについて書いたりしていると、「ジャズに興味はあるけど、好きになれるかどうか分からない」という話をよく聞くようになります。
これまでは、初心者でも分かりやすい名盤を教えたり、最初は分からなくていいからBGMに流して雰囲気だけ味わっていればそのうちわかる、といったアドヴァイスをしてきました。
それはそれで間違ってはいないと思います。
しかし、それでは「ジャズが好きになれるかどうか」という問いには答えたことにはなりません。
では、ジャズが好きになれる人とは、どういった人でしょうか?
こういったとき、最大公約数を探るよりも、以外と自分の心の奥を深く掘っていく方が答えに近づいていくものなので、自分がなぜジャズが好きかを掘り下げてみることにします。
僕は17歳の頃、ビバップのコンピレーションアルバムを聴いて衝撃を受け、ジャズが好きになりました。
その後色々やって演奏などはやめましたが、好きであることはずっと変わりません。
では僕はジャズの何が好きなのか?
あれこれ考えてみてひとつ思い当たることがあります。
それは、いびつさです。
ジャズに限らず、僕はいびつなものに惹かれる習性があるようです。
例えば、アストラッド・ジルベルトも中学生ぐらいで聴いてなんて美しいんだと感動したり、綿谷りさの「インストール」を読んで文体に衝撃を受けたり。
ただ、いびつさを売りにしているものは嫌いです。
存在そのものがいびつなものに惹かれます。
ジャズについてもたぶん同じです。
ジャズというのは本来いびつな音楽です。
即興にしても、タイムやグルーヴにしても、存在そのものがいびつで、そこから完璧を目指せば目指すほどジャズらしさが消えていくという特徴を持っています。
そのいびつさにちょっとでも興味があればジャズは好きになれます。
僕の経験でいうと、はじめてデクスター・ゴードンを聴いたとき、タイムのあまりのいびつさに驚き、「なんでこんなことができるんだ?」とずっと疑問に思っていて、それが確実にジャズを聴く原動力になっていました。
グラント・グリーンにしても、セロニアス・モンクにしても、最初はあまりのいびつさに笑ってしまったほどですが、長い年月をかけて聴いていくとそのよさが分かってきました。
一方で、完璧と言われるプレイヤー、例えばマイケル・ブレッカーなどははじめて聴いたときに何のショックもなく、今聴いても何の感情も湧きません。
一番最初に「これがジャズだ」とブレッカーを聴かされていたら、たぶん僕はジャズを嫌いになっていたか、その良さを発見するまでもっと遅れていたでしょう。
とこのように、いびつなものに惹かれる人はジャズを好きになれると思います。
逆に、完璧さに惹かれる人はそこまでジャズに深く傾倒できないのではないかと思います。