八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

日本人とジャスト 日本独特の「まずちゃんとジャストで」論は権威にすがって安心しようとする日本人の習性から来ている


八幡謙介ギター教室in横浜

日本では自己主張をしようとすると「まずちゃんとやってから」と強制的にブレーキをかけられることが多々あります。

確かに、まずちゃんとできることは大事です。

ただしそのちゃんとも度が過ぎると個性を潰してしまったり、やる気を削いでしまうことが多々あります。

そうしたことがタイムの習得にも現れています。

例えば、タイムを崩して弾きたいという人がいたとします。

そういう人が習いにきたとき、ほとんどの指導者は「まずちゃんとジャストで弾けてから」と教えます。

この場合の「まずちゃんと」がどれぐらいのジャストなのか?

僕は、明らかに遅れたり速すぎたりせず、ちゃんとタイムについていけるレベルであればOKだと思っています。

そして、目的がタイムを揺らすこと崩すことだとしたら、さっさとそっちの練習に入ればいいと思います。

しかし多くの指導者はもっとタイトなところまで習得させようとするそうです(実際にそう言われたというケースを知っています)。

ここが僕には理解できません。

そこまでタイトに弾きたくないという人になんでそんなタイム感を強要するのでしょうか?

これは「まずみんなと一緒のことをやりなさい」という日本式の教育そのものであり、ジャズやロックとは相容れないと僕は考えます。

繰り返しますが、ジャストで弾けることは重要だし、まずはそこを目指すべきなのは間違いありません。

しかし、機械のような正確なジャストは、やりたい人は目指したらいいし、そこまでジャストで弾きたくないという人はさっさと崩して弾く練習をしていくべきです。

 

ジャストは基準・目安ではありますが、最高のものではありません。

ジャストで弾いて得られる効果もあれば、失ってしまう効果もあります。

また、崩して弾いて得られる効果もあれば、失ってしまう効果もあります。

ジャストとはそういった相対的なタイムでしかありません。

西洋人はその辺がよく分かっていると感じます。

 

日本人はどうしても権威にすがって安心を求める習性があるため、音楽でもジャストという物理的絶対性にすがって安心しようとするのでしょう。

タイムを崩すと、権威(物理的絶対性)がなくなり、自己責任となってしまうため、どうしても日本人は不安になってしまうようです。

しかし、そこは訓練すればどうにでもなります。

ジャストでないことの不安から脱却すると、いろんなジャンルのタイムが理解できるようになるし、音楽ももっと自由で楽しくなってくるのですが……。