2018年を振り返ってみると、ジャズらしい活動を一切せず、横浜のギター教室で教えていただけでしたが、ぜかジャズミュージシャン(ジャズインストラクター)として認知された年となりました。
これまでにもジャズを習いに来た生徒さんはいるのはいたんですが、その総数を2018年で一気に抜いたかたちとなりました。
何が起こったのかは知りませんが、とにかくジャズの人として世間に知られたようです。
唯一やってきたのはブログでジャズについて発信することなので、ブログ経由で知られたのは間違いないようです。
読者の方は、なぜ僕みたいなキャリアのない人間が自信をもってジャズについて発信できるのか不思議に思うかもしれません。
音大を卒業したから?
そもそも自信家だから?
頭おかしい???
いえいえ、実はこれには明確な理由があります。
ブログや小説「ラプソディ・イン・アムステルダム」にも書きましたが、僕はアムステルダムである黒人トランペッターと仲良くなり、しばらく仕事をもらって一緒に演奏していました。
もう名前も忘れたし写真も音源もないので(当時は単なる日常でしかなかったので記録など何も残していません、iphoneもまだ出てなかった)お見せするものは何もないのですが。
”あの人”は僕が今まで観たミュージシャンの中で一番「ジャズ」でした。
一発吹いただけで店中の人間がビクっと肩をすくめて固まるぐらいの音を出す人です。
また、人間的にもちょっとシニカルかつずるいところがミュージシャンらしくて魅力的でした。
そんな人が僕の演奏を気に入り、「お前いいフィール持ってんな、どこで学んだんだ」と話しかけてくれ、すぐにバンドに誘ってくれました。
その後アムステルダムを離れて一度も連絡を取っていませんが、時が経つにつれ、”あの人”のすごさが身にしみてきました。
今までいろんなアーティストのライブを観ましたが、”あの人”以上はもちろん、それに近い音すら一度も聴いたことがありません。
そんな人に認められ、一緒に仕事をしたことが遅ればせながら自分の自信と誇りになりました。
そういった経験があるから自信を持ってジャズについて発信できるし、何を言われてもなんとも思えなくなったのだと思います。
また、僕のそうした態度を見て「この人は何か他のジャズミュージシャンと違うぞ…」と興味を持ってもらえているのかなと思います。
じゃあちゃんと名前ぐらい覚えておけよ、連絡先ぐらい交換しておけよと思われるかもしれませんが、ミュージシャンの付き合いなんてそんなもんだし、うまい仕事の話をもちかけられて急にブチられたこととか、クラブで口論になったこともあったので、別れるときは実はちょっと清々してましたw
今考えるといい思い出ですが…。
たった一つの出会い――それも出会っているときはちょっとうざったく感じている――が人を強くし、一人前に導き、その後の人生に大きく影響するということは本当にあるみたいだと40になってわかりました。
大人の人が「出会いが大事だ」と口を酸っぱくして言っていたのはそういうことなのかなと今は分かります。
またアムステルダムに行けば”あの人”はまだいるかもしれませんが、そうするつもりはありません。
せっかく美しい思い出になったので、このままにしておきます。
僕をジャズミュージシャンにしてくれてありがとう。
今でも僕は、あなたが褒めてくれたフィールでジャズをやってます。
あなたは僕の中で世界一のジャズメンです。