八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

「歌ってみた」の歌が全然入ってこない理由


八幡謙介ギター教室in横浜

時々「歌ってみた」を観るのですが、ほとんどの場合1コーラスも聴かずに消します。

なぜかというと、聞けば聞くほど疑問が生じ、歌が入ってこなくなるからです。

といっても、技術的なことではありません。

ピッチもあってるし、リズムもしっかりしている、声もちゃんと出てるし、動画の作りも申し分ありません。

おまけにイケメンだったり可愛かったりしますが、それでもやっぱり疑問が生じ、歌が聴けなくなります。

 

疑問とは何かというと、「この人はなんでこの曲を選んだんだろう?」「この人はこの歌をどう思っているのだろう?」「この曲を歌うことで何かを狙っているのだろうか?」といったものです。

歌を聴いても本当にその歌が好きなのかがわからない、歌詞に主人公がいるのになぜか第三者的な立ち位置で歌っている、その曲を選ぶことで何かを狙っている風に見えてしまう(SEOを意識した選曲)。

決してあら探ししているのではなく、そういった疑問が自然とどんどん湧いてきて歌を楽しめなくなってしまいます。

今のところそれが僕の「歌ってみた」観です。

「歌ってみた」とプロの歌手に違いがあるとすれば、歌っている自分に対し、リスナーに疑問の念を起こさせるか起こさせないかでしょう。

そういった観点ではアイドルもやはりプロだなと思えます。

どれだけ歌や踊りがつたなくても、観ていて「この人この歌をどう思っているんだろう?」という疑問は湧いてきません。

もちろんそういった疑問を起こさせるパフォーマンスをする人ははじかれているはずです。

表に出るなら、最低限そこをクリアしてからということなのでしょう。

楽器の演奏は良くも悪くも楽器の陰に隠れることができるので、そこまで疑問が湧くということはありませんが、歌は生ものでありその人そのものが出るので、どうしてもそこが気になってしまいます。

 

プロになりたい人は、ピッチだの発声だの、あるいは動画のクオリティだのを上げるよりも、歌と自分の関係性や、歌を歌うということの意義をじっくりと考えるべきだと僕は思います。

この歌はどういう歌なのか、歌詞は何を表現しているのか、自分がその歌を歌えるのか?歌う資格はあるか?その歌を受け止める人間性を持っているか?歌うとすれば自分はどう歌うべきなのか?どうすれば自分の歌になるのか(技術的な意味ではなく)……。

1曲でもそこまで突き詰めて歌うと、世間の反応も違ってくるのではないかと思います。

少なくともそこまでのものを感じたら僕は絶対最後まで聞くし、別の曲も聴きたいと思います。