90年代っ子の僕としては、小室哲哉氏の電撃引退劇に少なからずショックを受けています。
この経緯や週刊誌と芸能人といった文脈はさておき、「成功と代価」という文脈で考えると、『ああ、やっぱりか』と感じてしまいます。
何が”やっぱり”かというと、スポーツ、芸術、ビジネスなどで成功を収めた人は必ずその代価を支払わされることになるからです。
本人あるいは家族の死、病気、借金、事故、孤独、などなど、成功者を襲った不幸話は掃いて捨てるほどあります。
どこかの世界では『一番にはなるな、二番になれ』といった格言もあるとか。
逆に、大成功を収めてその後幸せに暮らせた人は、実は幼少期がとてつもなく不幸で悲惨だったこともあります。
その場合は代価を前払いしていたということになるのでしょう。
そんなことを考えると、大成功しないことの幸福というのもあるのではないかと思います。
有名になれない、お金持ちになれない、一流の人とおつきあいできない、でもその代わり恐ろしい不幸も訪れない。
案外そのへんでやっていくのが一番幸せではないかと思います。
僕はそう考えているので、自分という人間やギタリスト、作家としての名前をどんどん大きくしていこうとは思っていません。
大成功を収めて大金を手にしても後が怖いですからね。
好きなことやって最低限のお金もらって生活している時点でもう十分です。
これから何かを目指す人は、それぐらいの規模で考えておくと案外いい人生になるのかもしれませんよ。
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