スイングというリズムやその感覚は、言うまでもなくアフロアメリカンのものです。
そこにはアフロアメリカンの音楽感はもちろん、美意識や哲学、精神までも内包されています。
それについてはおいおい説明していくとして、ここでひとつ知っておいてもらいたいことは、ジャズ未経験の日本人が手放しで気持ちいいと感じるスイングはスイングではないということです。
なぜなら、日本人が気持ちいいと感じるものは日本的、あるいは日本的にアレンジされているものであるからです。
本当のスイングは日本人にとっては歪(いびつ)に感じられます。
もしそうでないとすれば、それは無意識のうちにスイングをどこか日本的に書き換えてしまっているのでしょう。
幸か不幸か日本人はそういった作業が得意です。
ですから、スイングの持つ歪さを無視して、日本人にわかるところだけを抽出し、それをスイングだとしているケースが多々見受けられます。
前述の「スイングとはパターンである」という、かつて僕が受けた間違った教えもその類いです。
もちろん、歪なものも慣れてくれば心地よくなってきます。
そうやって長年の研鑽から慣れ親しんだものを「心地いい」「気持ちいい」とするのは結構ですが、初心者にそれを言ってしまうのは酷でしょう。
ブラックコーヒーを飲んだことがない人に「コーヒーはおいしいよ、甘みも酸味もあるよ」と言っても理解してもらえないように、ジャズ初心者に「スイングは気持ちいいよ」と言っても混乱を招くだけです。
まずはコーヒーの苦みに堪えないとその甘みや酸味がわからないように、スイングもまずはその歪さ、居心地の悪さをきちんと体感するべきだと僕は思います。
でなければ本物はわかりません。
そういった考えから、僕はジャズ初心者にこそゴリゴリのどす黒いビバップや、ビリー・ホリデイのような濃い歌い方をするアーティストを薦めています。
日本人でもとっつきやすいアルバム(例えばジム・ホールとビル・エヴァンスの「Undercurrent」とか)は薦めないし、愛聴しているとしたらしばらくやめなさいと言うでしょう。
異文化を異文化としてきっちり認識しそれと向き合うためには、その最もコアな部分にまず最初に触れるべきです。
そしてそこで起こる驚き、拒否反応、興味、ワクワク感、ある種の絶望感、などからその異文化と自国の文化、自分の感覚を比較し、両者の距離感を正しく認識することが大切です。
日本人でもわかりやすい、日本人にもとっつきやすいところから入ってしまうと、その距離感を見失ってしまいます。
もう一度言いますが、スイングはアフロアメリカンの文化であり、日本人にはそれはありません。
だからこそその歪さをまず掴みにいくことが重要なのです。