日本人が文化に接する際に持つ奇妙なダブルスタンダードについて

以前にもどこかで書きましたが、日本人は様々な国内外の文化に対して奇妙なダブルスタンダードを持っていると僕は考えます。

自国の文化は国内外どこであろうと「日本的」であることを求めつつ、外国の文化が日本に入ってきたときにはその国の独自性を認めず、日本的に書き換えようとする習慣です。

自国の文化が海外のどこでも「日本的」「日本式」であること求めるのは構いません。

しかしそれなら海外の文化もその国のしきたりや慣習、様式の奥にある心までその国の方式に従うべきではないでしょうか?

身近な例でいうと、海外でヘンテコな日本食を食べて「こんなの日本食じゃない」と一笑に付しておきながら、日本では日本式のカレーやラーメンに舌鼓を打つ、といったところでしょうか。

まあこれぐらいなら別に何の問題もありません。

しかし、音楽やスポーツなど規模が大きくなってくるとやっかいな問題が生まれてきます。

 

一連の日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について記事を書き、その反応を読んでいると(スルーしたものもそれなりに目を通しています)、「ジャズ的かどうかなんて関係ない。日本で日本人が演奏するのだから日本の常識に従うべき」とする反応がことのほか多かったように見られます。

僕はそれでも<ジャズ的>に考えるべきだという主張を変える気はありません。

 

例えば柔道で考えてみましょう。

欧米人のAとBが試合をするとします。

Aは足を怪我しており、誰からも一目瞭然だとしましょう。

しかしBはAの怪我している足を一切攻めずに技をかけ続けます。

その結果Bが負けたとしたら、我々日本人はどう感じるでしょうか?

Bは日本の心を理解している立派な柔道家だと誰もが思うでしょう。

そして、負けたBが自国で責められたと知ったら、Bを責めないであげてほしいと声を上げるでしょう。

Bの行為(弱点を攻めない)は敗北という失敗に終わりましたが、柔道という文化の精神に則ったものであり、彼は賞賛されて然るべきです。

 

これをそのままひっくり返したのが先日の中学生バンドのコンサートです。

ドラムの少年は、ジャズというアメリカ黒人文化が持つ<逸脱>という精神に則り、その結果失敗しました。

その失敗は日本においては議論を呼ぶものでしたが、ジャズというアメリカ黒人文化からすれば「Cool !」なことです。

柔道を日本文化の文脈で捉えるのなら、ジャズはアメリカ黒人文化の文脈捉えるべきです。

柔道は日本式でやれ、ジャズも日本式でやれ、ではあまりにも独善的すぎるでしょう。

日本文化を日本式に日本の精神に則って学び楽しむことを求めるなら、海外文化はその国の様式、その国の精神に則って学び、楽しむべきです。

 

幸か不幸か、我々日本人は模倣と書き換えに秀でた民族です。

海外文化をいち早く模倣し、日本式に書き換え、おまけに日本的な精神をそこに乗っけることまで簡単にしてしまいます。

一方で外国に同じことをされるのを極端に嫌う傾向があります。

文化に携わる日本人は、一度このダブルスタンダードを見つめてみる必要があるのではないでしょうか?

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