身体操作は必然を探り当てるために研究するものであり、自己流を構築するために存在するのではない

年々、ギターやその他楽器を演奏するための身体操作がテーマの書籍やブログを目にすることが増えてきましたが、ほとんどのものはちょっと目を通してすぐにがっかりしてしまいます。

なぜかというと、持論しか書いていないからです。

自分は前腕をこう使う、親指はこう使うなど。

その持論を説明するための方便として身体操作という概念を扱っているようです。

もちろん、それはそれで結構だし、誰かの役に立っているのなら問題ありません。

とはいえ、僕はそれではもったいないと思います。

 

僕にとって身体操作とは、運動の必然を探り当てるために研究するものです。

例えば前腕の回転。

前腕を回転させてピッキングすれば、老若男女、初心者もプロも必ずこうなるよ、というところまで掘り下げます。

そこまでしないと本当に教えるほど価値があるかどうかがわからないからです。

「僕は前腕をこう使うよ」では自己流に過ぎません。

 

それなら身体操作という概念や方法論を持ち出さなくても、最初から自己流として自信を持って教えればいいだけです。

身体操作(それに準ずる呼称)というからには、こうすればこうなるという必然まで掘り下げてから教えるべきです。

もちろん僕はそうしています。

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