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良くも悪くも他人の評価は当てにならないから、客観的に自己評価できる自分になろう

長年何かを続けてきて、他人の評価にさらされる状態にいると、人が下す評価というものは良くも悪くもつくずく当てにならないものだと感じます。

なぜかというと、評価には必ず政治が介入するからです。

いくつか例を挙げてみましょう。

 

例えば今話題のアーティストAがいたとします。

あなたがそれに触れ、何らかの評価を下さないといけなくなったとき、純粋に思ったことをアウトプットできますか?

おそらくそこに至るまでにかなりのプロセスを経ているはずです。

例えば、アーティストAを高評価(低評価)したとき周りは自分をどう評価するだろう?とか、先輩はどう言っているか?周りの多数派はどっちの評価だろう?などなど。

そうした政治的思考を経てからアウトプットするという人がほとんどではないでしょうか?

 

「でも、匿名のネットなら本音が言えるでしょ?」……と数年前までは言われていましたが、もはやそうでないことは皆さんご存じのはずです。

掲示板や完全匿名アカウントでも、多くの人は叩かれないよう、炎上しないよう、あるいは見下されないようにあれこれ気を遣って書いているはずです。

そこにはやはり、匿名アカウントという自分の分身や、スレッドに書き込んでいる自分自身が傷つかないよう、あるいは誰かの上に立てるよう政治的配慮や工作が潜んでいます。

 

また、直接の感想や評価もやはり政治的産物でしかありません。

仕事でまた一緒になるから、こじれるとやっかいだから、友達だから、とりあえず褒めておくという人がほとんどでしょう。

残念ながらそこにも中身はありません。

 

結局、ネットでもリアルでも、いい評価も悪い評価も、他人が下すものの9割以上は当てになりません。

じゃあどうすればいいかというと、自分の中にできるだけ客観性のある価値観を構築することが一番です。

それこそ主観といえばそれまでですが、少なくとも自分が自分に政治を発動するということはありませんし、訓練すれば自分の心次第でどこまでも自分を客観視できるようになってきます。

そしてそれは時として他人の評価よりも当てになります。

もちろんそこにはあらゆる罠も潜んでいますが、その罠(自分に都合のいい評価しか下せない)に陥るか、それを回避するかも自分自身の心で改善していくことが可能です。

そういった意味で、信用できる他人を探すよりも、自分が信用できる自分になることの方が誠実(政治が介入しないという意味で)でしょう。

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