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身体操作は「できた」か「できない」かではかるものではない

身体操作またはそれに準じたトピックについて、「できた」「できない」の二元論で語っている人がよくいます。

これは大きな間違いです。

何が間違いかというと、一度「できた」ならそこで完成だと思っている点です。

例えば、エレキギターのピッキングでよく取りざたされる親指の屈伸で考えてみましょう。

 

多くの人はこれができません。

一方で練習すればできるようになる人もいますが、では親指を屈伸させてピッキングをできるようになれば「できた」のかというと、そうとも言えません。

あるフレーズが弾けても別のフレーズは弾けないかもしれないし、すらすら使いこなせるようになったように見えても、さらにそれよりももっと楽に弾けるやり方があるかもしれません。

また、練習では使いこなせているように思えても、本番で1ステージ持たないということもあるかもしれません。

そうして何か問題が起これば、さらに高度な身体操作を追求する必要があります。

苦労してひとつ山を乗り越えればまた次の課題が見えてき、次のレベルの身体操作を練る、それがクリアできてきたらまた次が見え…

身体操作をそのように捉えていると「できた」という言葉は出てこないはずです。

なぜなら、「できた」の次が必ずあると分かっているからです。

身体操作を「できた」「できない」で論じている人は、物事を悪い意味で単純化しすぎています。

あるいは、今の自分の認識を過信しているともいえます。

 

身体操作に取り組むためには、多角的な視点やメタ認知など、高度な思考が必要になってきます。

もちろんそういった考え方を持っていなかったとしても、単純に「もっと上があるはず」「もっと上に行きたい」と常に思っていればいいだけなのですが。

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