八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

自分にすら何の異変も起こらない作品が他人に影響を及ぼす事はまずない


八幡謙介ギター教室in横浜

ここ最近、自分が行ってきたこと、発表してきたものを再点検しています。

目的は、創作の過程と結果の因果関係を突き止めることです。

これまで何かをするにあたって一回一回全力を出しているつもりではいましたが、今考えると出しきれていないものも多々ありました。

そういった事は、概ね後になってわかってきます。

では、今自分が全力を出し切れているかどうかを判断するためにはどうすれば良いのか? 

そんなことを探っていて一つわかったことがあります。

それは自分の身に異変が起こるかどうかです。

 

体調がおかしくなったり、明らかに精神的に不安定になったり、あるいは度を越して高揚したり、悲しくなったり……症状は様々でしょうが、明らかに日常と違う状態になるかどうかです。

仮にそうならないとすれば、作品は日常的に行う何かと同じレベルのエネルギーで創作されているということです。

嫌々行う勉強や仕事、あるいは気を使わなくていい友達との食事会や飲み会、もっと言えば皿洗いなどの日常作業程度の行為として。

そうして日常の延長として作られたものが他人や社会に影響を及ぼすはずがありません。

せいぜい日常的に関わり合いのある人(家族、近しい友人、SNSでよく交流する人)がリアクションしてくれる程度でしょう。

実際に今まで自分がやってきたことの中で、明らかに自分の中で異変が起こっていたものは、その後必ずリアクションが得られています。

それも、全く無関係な人から。

一方で、自分の中で完全にコントロールされ、計画通り進行し発表できたものほど、びっくりするぐらい何のリアクションも得られなかったりします。

 

パフォーマンスも同様です。

ほとんど制御不能になってぐちゃぐちゃになったライブほど、普段全く褒めない人から後で「よかったよ」と言われ、といった記憶があります。

これもやはり、異変→リアクションという因果関係だと解釈できます。

そうした自分の中の「異変」を、創作やパフォーマンスの一つの基準、あるいは絶対に越えなければならないハードルとして設定しておけば、クオリティの高いものを作り続けることができるのではないかと考えます。

一方、創作の過程で何の異変も起こらず、計画通りにうまく完成したものは、自分にとってはともかく、他人や社会にとっては大して価値のあるものにならないと予測できます。

 

何を作ってもリアクションが得られない人は、プロモーションや世間の流行がどうこうではなく、自分の中で何の異変も起こらず、最後まで通常運転で創作していたのではないでしょうか? 

だとすれば、それは自分の日常の範疇を出ないものであり、赤の他人にとっては価値のないものなので、極論すれば何をやっても結果は得られません。

コンテンツの数を増やそうとやっきになったり、プロモーションありきの創作をするよりも、まずはひとつ、自分の中に異変が起こるほどエネルギーを使ってなにかを完成させてみるべきでしょう。

そうすると必ずリアクションは起こりますし、後々それが一つの基準になってくれます。