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本質に到達しているからこそ些末な要素に気を配るべきである

自省のため、僕が長年犯していた勘違いを書いておきます。

僕はある時期から、「本質さえ掴んでいればそれ以外はどうでもいい」と考えるようになりました。

それは、中身がないのに表面だけでうまくやっている(ように見える)人たちへの反感や怒り、そしてそういったものに騙されてきた自分への反省という意味もあります。

それがいつしか「本質さえ掴んでおけば」という考えにすり替わっていたようです。

これは一見正しい姿勢であるように見えますが、戦略としては間違っているでしょう。

なぜなら、どのような媒体でも、そこに顕現する本質に到達するまでに距離があるからです。

例えば、CDで考えてみましょう。

ある楽曲(群)に、音楽的な本質が備わっているとします。

分かりにくい人は、その楽曲(群)が歴史に残る素晴らしいものであると考えてください。

しかし、それが人の目に留まり、購入され、再生されるまでには時間と対価がかかります。

そのCDのジャケットが全く魅力のないものだったらどうでしょうか?

あるいは、アーティストがダサかったら?

楽曲やアルバムタイトルが不愉快なものだったら?

せっかくいい音楽なのに、そこに到達する可能性も低くなるでしょう。

中身がいいからあとは余事なのではなく、中身がいいからこそそこに到達する道のりを入念に整備しておく必要があるのです。

また、その中身(本質)の邪魔をしないよう、一見どうでもいいようなところまできちんと整備しておく必要があります。

人の認識とは虚ろなものですから、本質が見えていてもついその周りにある些末な出来事に目がいってしまいがちです。

いや、本質が備わっているからこそちいさな傷を探したくなってしまうのでしょう。

 

本質を掴むことは容易ではありませんが、そこに到達したからといって、本質にあぐらをかいて他をおろそかにするのは怠慢ですし、戦略としても間違いです。

もちろん、自分が到達したところが本当に本質なのかどうかはまた別の話ですが。

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