継続の原動力は情熱ではない 情熱を当てにすると継続はできない

最近、オムレツ作りにこっています。

薄皮一枚作って中はふわふわというアレです。

これが全然できません。

YOUTUBEの動画などを見て研究しながら1ヶ月ほど毎朝つくっているのですが、いいところまで来てだいたい失敗します。

最初は失敗しても面白かったのですが、だんだん「またか」とイライラするようになり、朝から気分を害するのは嫌なのでやめようと思いました。

しかし、次の朝、キッチンに立つとなんだかもやもやしてしまい、結局またオムレツを作りました。

何やってんだか…と思いながら、ふとこのもやもやに何かがある気がしてきました。

 

オムレツを作り始めた当初、僕には情熱がありました。

そして、その情熱は1ヶ月でぷつりと切れてしまいました。

まあ、情熱なんてだいたいそんなもんでしょう。

しかし、僕はオムレツ作りをやめませんでした。

なぜやめなかったのでしょうか?

すくなくとも、それは情熱とは関係ないと言えそうです。

情熱は、確実に消えたと実感しているからです。

 

ここに何かを継続する際のヒントがある気がします。

ギターで考えてみましょう。

僕はギターを今年で23年ほど続けています。

その間、情熱に燃えていたときもあれば、腐っていたときもあります。

絶望していたときもあるし、喜びに震えた瞬間もあるでしょう。

その中のプラスの感情が継続の原動力になっていたかというと、そうは思えません。

一方で、マイナスの感情も継続をやめさせることはありませんでした(今でもギターを弾き、教えているので)。

ではなぜ続けているのかというと、なんかもやもやするからです。

今現在ですと、右手の親指の使い方がもやもやしていて、その答えを探しています。

これが解決したらすっきりはするでしょうが、また次のもやもやが出てきてやめられなくなるでしょう。

と、恐らくこんな感じで23年ほど続けてきたのでしょう。

 

物事が続かない人は、僕や他の人(何かを長く続けている人)を見て、さぞかし情熱に溢れているんだろうと思うでしょうが、実際そうでもないです。

情熱は必ず消える瞬間が訪れますからね。

何かを継続するための原動力が”情熱”である人はそこで終わりです。

いわゆる「燃え尽き症候群」の人は、このタイプでしょう。

長期的になにかを続けている人は、情熱が燃えているときは情熱を頼りに動いていますが、それが消えたときのサブエンジンも持っていると考えられます。

そして、長期的に考えると、そのサブエンジンで動いている時間の方が恐らく長いです。

ではそれは何なのか?

喜びや期待、希望、夢、あるいは嫉妬や悔しさ、怒り、憤り……そういった感情が全部消えてなおかつまだ残っているもの。

それはある種の諦観なのかもしれません。

関西弁でいうところの「やらなしゃーない」というやつです。

 

(さて、またオムレツ作るか…。やれやれ)

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