創作やパフォーマンスをするとき、誰しも他人からの評価を期待します。
そして、高評価を得ることを目標とし、作品を発表します。
これは当然といえば当然のことでしょう。
しかし、ほとんどの場合は酷評すらされずに無視され、何の評価も得られないまま終わってしまいます。
なぜでしょうか?
単純に考えると、作品やパフォーマンスの質がよくなかったからでしょう。
あるいは、宣伝に予算をかけられなかったから。
そもそも駆け出しで、まだファンもいないからかもしれません。
しかし、評価が得られない原因のひとつとして、評価を得るために創作やパフォーマンスをしているからというのも十分あると僕は思います。
例えば、ミュージシャンならこんなことを考えたことがあると思います。
まず高い技術を身につけて、その技術を評価してもう、そこからファンを増やして、仕事につなげていく…
自分はこんなに速く指が動くんだぞ、こんな難しい曲をすらすら弾けるんだぞ、アドリブでこんなアウトができるんだぞ、どうだ、すごいだろう!さあ自分を評価しろ……
そんな演奏だから評価されないのでしょう。
だって、それって一番つまらないじゃないですかw
例えば、誰かと話しているとしましょう。
相手が一生懸命「自分はここが凄い」「自分はこんな特技を持っている」と自身の価値をアピールしてきたとしたらどう思いますか?
引きませんか?
そんな人とまた話したい、飲みたいと思いますか?
思わないですよね。
そうではなく、単純に話していて面白い人を「このひとは面白い」と(後で)評価するはずです。
また、誰かと話す際、最初から相手を評価してやろうと思っている人も少ないと思います。
最初は誰でも面白い話がしたい、聞きたい、盛り上がりたいと思っているはずです。
評価云々というのは、全てが終わった後の話です。
作品やパフォーマンスを観るときも同じでしょう。
観客は、最初から作品やパフォーマンスを評価してやろうとは思っていません(いたとしてもかなり少数でしょう)。
楽しみたいと思って観ています。
それなのに、「どう、これ凄いでしょ?評価してよ?ね、評価して!」という姿勢が伝わって来たら興ざめです。
一部の客(同業者や評論家)は、評価するために観ているので何らかのリアクションをするかもしれませんが、一般のお客さんやたまたま作品を目にした人はスルーするでしょう。
なぜなら、評価されることを目的とした創作(パフォーマンス)だからです。
アーティストでそうした姿勢になってしまっている人は、まず<評価されたい→評価されそうな演奏をする→無視される→もっと評価されそうな演奏をする…>というサイクルから脱して、とりあえず目の前にいる(と想定される)お客さんを楽しませることに取り組むようにしていくべきでしょう。
もう少し崇高なところだと、評価も観客を楽しませることも関係なく、ただただ美に奉仕するというスタンスもあるでしょうが(死後に評価されるタイプです)。
いずれにせよ、評価されることが第一目的となってしまっていると、それが原因となり、いつまでも評価されないということが十分ありえます。
そういったことは忘れて、まず創作やパフォーマンスで他人のために尽くしてみましょう。
他人が想定できない場合は、自分の中にある衝動を純粋に掘り起こすというのでもかまいません。
いずれにせよ、最初から評価を当てにして何かをするべきではありません。