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ギター教室 横浜 八幡謙介ギター教室講師のブログ

ギター講師八幡謙介のギター、音楽感をつづるブログ

馴れ合いばかりしていると、いざというとき認識を統一できなくなり、作品やパフォーマンスがブレる

先日の記事にちょっと反響が多かったので続き。

k-yahata.hatenablog.com

馴れ合いの場では、自分が思ってもいないことを口にします。

たいしてよくもなかったけど「よかったよ」と。

そして、相手も見返りにたいしたこともない自分の作品やパフォーマンスを「よかった」と言ってくれます。

これをずっと続けていくと、認識が常に不安定な状態にさらされてしまいます。

そうなると、作品やパフォーマンスにブレが生じてきます。

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もちろん、認識それ自体は最初からものすごく不安定なものです。

例えば、自分が最高にかっこいいと思っているアーティストがいても、数人の人に「あれはダサい」と言われれば、誰でもそのアーティストをかっこいいと感じる自分の認識を疑い始めるでしょう。

その逆に、自分が酷評しているアーティストをかっこいいと言われればやはり自分の認識に疑問を持ち始めるはずです。

認識とは、ほんのちょっとの反対意見でぐらつくほど脆弱なものです。

 

しかし、何かを作る際には認識を統一しておかなければなりません。

『こうするのがかっこいいと思うけど、でも反対のこっちもかっこいいかもしれない』『自分はこう思うけど、○○さんは反対にこう言ってたし…』では中途半端なことしかできません。

だから勇気を出して『今自分はこれがかっこいいと思う!』『これが一番正しいんだ!』と自分の認識を統一し、それをある意味わがままに100%打ち出す必要があります。

それは、想像を絶するほど怖いことですが、芸術とはそういうものでしょう。

そして、世の中から反響があるのは自分の認識を100%打ち出したときだけです。

これは経験から言えることです。

ちょっとでも認識がぐらついている状態で出したものは、見事なくらいスルーされます。

これも経験から言えることです。

 

さて、馴れ合いの話に戻ります。

何を観ても「よかったよ」ばかり言っている人は、自分の認識を鍛え、統一し、アウトプットするという訓練ができていません。

それどころか、自分の認識を騙して、それを日常的にアウトプットしています。

そんな人がいざ作品を作るときに、認識を統一し、勇気を出してそれを世に出すことができるでしょうか?

当然無理ですよね。

そうやってぐらぐらした認識のまま作品を作り、パフォーマンスしていると、消えていく(あるレベルから上に行けない)のは当然です。

だから馴れ合いは危険なのです。

 

馴れ合いをしている人たちは、「これはこれ、本音は本音」とうまく使い分けられていると思っているのでしょう。

僕もある時期まではそれができると思っていました。

しかし、どうやら人はそれほど器用にはできていないようです。

何を観ても「よかったよ」ばかり言っている人は、結局その認識の中でしかものをつくれません。

当然、それでは世間から反応が得られず、だからこそより強く馴れ合いに依存し、そこから抜け出せなくなり、やがて消えていくのでしょう。

 

建前ばかり言って本音の作品がつくれなくなる前に、馴れ合いからは距離を置きましょう。

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