【広告】

対象についてこれはこうだと断定するとき、それを言っている自分を客観的に観られているか、その視点はあるのか?

例えば、ある音楽について「これはいい」「これはダメだ」「ここをこうするべき」と言うとします。

それ自体は誰でもすることです。

しかし、同時に”それを言っている自分”について考えている人はあまりいないのではないでしょうか?

といってもこれは、同業者として自分なら同じようにできるか、あるいはもっといいものができるか?ということではありません。

その意見を言っている自分の認識や審美眼は十分かどうか?ということです。

例えば、僕は20代前半の頃はマイルスデイビスの「Blue in Green」のよさが分からず、ただ退屈な曲としか思えませんでした。

そして、『こんな曲のなにがいいんだ?褒めてるやつは馬鹿じゃないのか?』とすら思っていました。

SNSがあればそう書いていたかもしれません(まだない時代で本当によかったw)。

しかし、20代後半でようやくこの曲の素晴らしさが感じられました。

自分の認識や審美眼がようやくこの曲のレベルに到達できたのでしょう。

Blue in Green

Blue in Green

 

そういったことは多々あります。

だから、僕は何かを評価する際、"それを言っている自分はどうか"を同時に考えるようにしています。

もちろん、その自分を客観的に見ようとしているのも自分ですから、結局は自分の中から出ることはできませんが、こうやってチェックすることで、「もしかしたら今の自分に分からないだけかも」「自分のレベルが上がれば分かるのかも」と考えることは可能です。

ちなみに、”それを言っている自分”について判断するときは、どのレベルの人が自分を評価してくれているかを確認すれば分かりやすいです。

例えば、僕の提唱しているギターの奏法、習得法などは、第一線で活躍しているプロの方が評価してくださっています。

ということは、使える、学ぶ価値がある、ということです。

一方で、価値がない、嘘だ、と言う人もいます。

しかし、そういう意見は匿名だったり、言っている人自体がアマチュアとか学生だったりします。

逆に、褒めてるのがアマチュアや学生ばかりで、プロや実力者が否定していたら考え込みますが、そうでないので今のところは安心しています。

こういった意見を集め、冷静に判断していくと、だんだん自分が見えてきます。

ただしこの場合、自分に対してあちこちからリアクションがあることが前提ですが。

そうしたリアクションがなかったとしても、一度”自分”について客観的に考えてみると見えてくるものがあります。

それは、十中八九”今”の自分には辛い現実ですが…

【広告】

 

読まれている記事

k-yahata.hatenablog.com

k-yahata.hatenablog.com

k-yahata.hatenablog.com

k-yahata.hatenablog.com

k-yahata.hatenablog.com

 

【広告】