随分前ですが、高校生の生徒さんのバンドが何かのコンテストで優勝し、その特典として関西随一のスタジオで関西一の腕利きエンジニアにレコーディングしてもらえるという機会を得ました。
僕はそのレコーディング前に楽曲の相談などを受け、アドヴァイスなどをした記憶があります。
そのとき聴いたデモは、まあ良くも悪くも高校生レベルでしかなく、特に突出したものはありませんでした。
さて、レコーディングが終わり、生徒さんが持って来た完パケを聴いて、度肝を抜かされました。
それは市販されているロックバンドの音源と全く遜色ないどころか、ちょっとその辺のメジャーバンドよりもパワフルで、迫力のある演奏に聞こえたからです。
サウンドは当然としても、演奏までも急に何倍もレベルアップしたように聞こえました。
よく聴けば『ああやっぱり』と感じますが、第一印象の驚きはかなりのものでした。
デモ音源や実際の演奏を知らなければ、実力派超大型新人バンドだと言われても簡単に信じたでしょう。
それぐらい素晴らしい音源に仕上がっていた(素晴らしい演奏をするバンドに聞こえた)のです。
この出来事には、少なからずショックを受けました。
極端に言うと、金で腕利きのエンジニアを雇い、一流のスタジオで録音すれば、(失礼だが)そこらへんの高校生でもこれだけの素晴らしい音源がつくれるわけですからね。
じゃあミュージシャンの能力って何なんだ?
毎日必死こいて練習してるのはいったい何のためなんだ?
と思わざるをえません。
とはいえ、ライブをやれば一発で実力が出るんですが。
僕が一般的な意味で”いい音”――金でどうにかできる範囲――に全然こだわらなくなったのはこのときからです。
だからといって、音が悪くてもいいということではありません。
金さえ払えば解決できることに苦心しなくなったという意味です。
そこを充実させたければお金を貯めればいいだけなので。
音楽において金でどうにかなることがあるのなら、金でどうにもならないこともあります。
では後者を追求するべきではないかと。
ちょっとした間、呼吸、グルーヴ感、タイムのブレ、生々しさ、演奏時の意識、などなど。
そういったものはいくらお金を積んでも、どんな腕利きエンジニアにもつくれませんし、逆に、低予算の録音だからといって消えることもありません。
そして、そういった金で買えないものを少しずつ少しずつ見つけていくと、「金さえあれば」と虚無感に襲われることはなくなり、むしろちょっとずつ自信がついてきます。
時間のかかることではありますが、僕はそちらを目指すべきだと思うし、横浜のギター教室ではそれを教えていきたいです。