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「正しい」ものは常に古い まず正しいかどうかを考えてしまうと、新しいものはつくれない

日本人は、ことに当たってまずそれが「正しい」かどうかを考えてしまいます。

おそらく教育のたまものでしょう。

それは、社会を比較的安全に、比較的住みよくするのに役だっているかもしれませんが、新し価値を生み出すことを常に阻害してもいます。

なぜなら、「正しい」ものは、常に古いからです。

 

あるものごとが「正しい」と認識されているということは、既にそれが認知され、承認され、模倣しつくされた結果、スタンダードとして確立されたということです。

まだ認知された段階では「正しい」とは判断されないでしょう――特に日本社会では。

「正しい」と言われている物事は、その中に必ず<認知→反発→承認→模倣→無数の解釈>といった歴史を含んでいます。

そういった歴史を乗り越えてもまだ存在しているから「正しい」のです。

一方で「正しい」ことをやっていては絶対に獲得できないものがあります。

それが、新しい何かです。

「正しい」ことは、「正しい」と認識されている時点で、新規参入者がちょっとやそっと頭を捻った程度では太刀打ちできないほどの深い歴史を持っています。

言い方を変えれば、なにもかもやりつくされているということです。

『いや、まだこんな可能性があるはずだ』と考えるのは、あなたが未熟だからに過ぎません。

ということは、「正しい」ことをどれだけやっても、新しいものは絶対に出てこないということです。

また、「正しい」ことでは、絶対に先人には敵いません。

なぜなら、その正しさは先人が血と汗を流して作り上げたものだからです。

 

仮に何かを継承することが目的なのであれば、「正しい」ことをきっちり学ぶことの方が重要でしょう。

しかし、自分の価値感で他に類を見ないオリジナルな何かを創作するのであれば、「正しい」ことは避けるべきです。

しかし、ここで問題が発生します。

日本人は何かをする際、まずそれが「正しい」かどうかを自動的に考えてしまい、「正しくない」と判断すると躊躇するかやめてしまう習性があるからです。

日本で普通に育った人間なら幼少期から徹底的にそう教育されてきているので、この習性を簡単に捨て去ることはできません。

そうして、取捨選択の再、率先して「正しい」(とされる)ことを選択し、そこから外れることを避ける、また、他人にもそれを求め、そこから逸脱している者は嘲笑し、攻撃し、排除する。

そんな社会で新しいものが生まれない、生まれにくいのは当然でしょう。

 

もちろん、そういった社会でミュージシャンなりアーティストとしてうまくやっていきたいのであれば、社会が、あるいは業界や先人が「正しい」とすることだけをやっていけばそれなりに仕事はできるはずです。

しかし、せっかく勇気を出してアーティストの道に踏み出したからにはひとつでも何かを後世に残したいと考えるのであれば、「正しい」かどうかを考えるのは今すぐやめるべきでしょう。

「正しい」ことで、自分が新しい価値を生み出せる確率は、宝くじで一等を当てるよりも低いでしょう。

そこを狙うぐらいなら、批判や嘲笑や孤立に堪える鋭気を養って、どんどん「正しくない」ことに進んでいくべきです。

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