以下は完全なる私見です。
年々、歌が聴けなくなってきています。
歌手の声や歌っている姿に違和感を覚え、ときには気持ち悪くすら感じることが多くなってきたからです。
違和感の多くは、声や節回しなどの技術と、本人のちぐはぐさです。
これはジャズシンガーに多いです。
失礼を承知で言うと、大した苦労もせず育ってきたであろう普通の日本人が、声や節回しだけ往年の黒人ジャズシンガーっぽく歌っても、違和感しか感じません。
声や技術が自分から出てきたものではなく取って付けたものだから(もちろん、それらを獲得するためにかなりの努力をしたんでしょうが)、そこばかりが悪目立ちして歌が入ってこないのです。
R&B系のやたら声量が大きい人もそうです。
黒人アーティストなどを観ていると、エネルギーが爆発した結果としてシャウトしたり大きな声が出ているように感じますが、日本人アーティストの多くは発声という技術で大きな声を出しているだけのように感じられます。
だから、妙な違和感を覚えます。
もちろん、そうでない人もいますが。
もうひとつ僕が苦手なのが、子供が歌う大人の曲です。
ジャズやブルース、演歌などを子供が歌っていると、音楽やその世界観と人間のちぐはぐさが目立って聞けなくなります。
それに、どう考えてもその歳じゃこの歌詞は理解できんだろう、というものがほとんどです。
歌とは、どこまでも等身大かつ普通であるべきなのではないかと思います。
普通というのは、スタンダードという意味ではなく、本人にとっての普通です――ということは等身大です。
例えば、格好つけやぶりっこがすぐに見抜かれるように、取って付けた声や節回しもやはりすぐに見抜かれます。
そしてそれらは違和感として浮き上がってき、歌い手の本当の姿を奥に隠してしまい、見え辛くします。
そうやってテクニックだけで自分と対峙している相手とは到底深い関係にはなれません。
日常でも、音楽でも。
だから、上手い歌、技術が人間に先走っている歌がどんどん聞けなくなってきます。
とはいえ、等身大の歌、人間と音楽が合致した歌は過去にもう聴ききれないほど沢山あるので、それらを聞いていれば満足なのですが、どこかさみしい気もします。