八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

ミュージシャンはなぜ物理現象に価値感を委ねてしまうのか?


八幡謙介ギター教室in横浜

様々な芸術の中で、音楽ほど物理現象がもてはやされているジャンルはないと言えるでしょう。

例えば、絵画を沢山観て、「○○の絵が一番いい、なぜなら一番大きいから」と言っている人がいたらアホだと思うでしょう。

また、写真みたいに正確だからいい、そうでないのは劣るといったことを言う人がいれば、誰でもその人の審美眼を疑うでしょう。

しかし音楽では、「タイムが正確だからいい」とか「速く正確に弾けるからいい」という評価がまかり通っていますし、プロでもそういった価値感しか持ってない人がいます。

ではそういった人たちは、様々な美が交錯する音楽において、なぜそういった物理現象だけを追ってしまうのでしょうか?

それは、自身の審美眼のつたなさを”絶対的基準”において補完する行為であると僕には思えます。

 

 

例えば、タイムという概念は絶対的な基準があります。

そして、演奏がその基準に近いかどうか(時間通り正確かどうか)は、ちょっと訓練すれば誰でも、楽器ができなくても判断できるようになります。

また、音の数や速さも誰にでも比較できる概念です。

一方、そういった物理現象を基準としない音楽の美しさやダイナミックさは、ちょっと一生懸命練習しただけでは感じられなかったりします。

例えば、かなりの音楽ファンでもマイルスのトランペットの美しさや醍醐味は分かりにくいそうです。

また、ツェッペリンなどの初期のハードロックは、今の若者が聴くとただズレているように聞こえるそうです。

50年代のビバップ(ジャズ)などは、どれをひとつとっても物理的に正確な演奏はありません。

それらをもって、昔のミュージシャンは下手だ、だからダメだとばっさり切り捨てる人もいます。

ではそれらが価値の低いものかというと、もちろんそうではありません。

ただ、それらの価値は、自分の認識や審美眼がレベルアップしないと分からないものです(本当は全然分かってないけどみんなが凄いとか偉いと言うから自分も合わせているという人は大勢いるでしょう)。

わりとすぐに分かるようになる物理現象と、いつまで経っても分からないひとには分からない美的価値感、当然、前者を基準にした方が楽ですよね。

しかも、物理的概念を盾にすると、有名プレイヤーやバンドの演奏を「ここがちょっとズレてるw」とかちょっと小馬鹿にできたりするので、なおさら得です。

しかし、そうやって物理現象から音楽の価値を判断していては、音楽の本当の美しさやダイナミックさはいつまでたっても理解できません。

もちろん、最初は仕方ありません。

審美眼も価値感もなにもできていない状態では「タイム正確~!」とか「速弾きすげー!」でもいいでしょう。

しかし、いつまでもそれではあまりにももったいない。

それに、何より(食えていなくても)プロとして活動しているのなら、物理では測れない音楽の美しさぐらいは感じられないとダメでしょう。