音楽である以上、最高のピッキング、フィンガリングというのはありえない

「最高の○○」みたいな謳い文句はどこにでもありますが、ギター(と他の楽器)の奏法において、それはありえません。

「最も合理的な」なら存在しますが、その合理的な奏法が音楽にそぐわないから使えない、という場合は多々あります。

日本人は合理性と芸術性をイコールで結ぶ習性があるので、最も合理的な奏法が最も音楽的であるとつい勘違いしてしまいますが、そうではないのです。

 

例えばギターのピッキングで考えてみましょう。

ピックで弦をはじく際、最も気を付けなくてはならないのが、ピックが弦に深く当たることによるひっかかりです。

ピックが弦に深く当たると、その分抵抗が増し、その抵抗に勝つためにピックをギュっと握ったり、弦を強くはじいたりする必要が出てきます。

その結果腕は力み、振り幅は大きくなってしまいます。

ですから、ピッキングを合理的にするためにはピックと弦がかすれるぐらいに浅く浅く当てていく必要があります。

しかし、

ピックが弦に深く入ったときに出る独特のサウンドというものがあります。

あるいは、ピックが弦に対して一瞬からまったときに出るサウンドもあります。

それらが欲しいときは、当然ピックを弦に深く当てるように弾かなくてはなりません。

これは合理性と相反します。

ここで、音楽か合理性かという二者択一を迫られます。

本来、どちらを取るか考えるまでもないはずですが(もちろん、音楽です)、日本人はここで合理性をとってしまうことが多いようです。

時計や車などの歴史でも、<合理性か芸術性か>という二者択一を迫られたとき、日本の企業や技術者はどちらかというと芸術性よりも合理性を重視してきたようです。

 

僕は、最高の技術が最高の芸術であるとは全く思えないので、ピッキングを教える際は、音楽によって時に非合理的になりうるということを必ず説いています。

もちろん、徹底的に合理的なピッキングも教えていますが、必ず「これが最高ではない」と説明しています。

合理性ばかりに目を向けていると、どうしても音楽に必要なアラや無駄(と一見思えるもの)が分からなくなってしまいます。

実際に特定のジャンルを形成している要素は、合理性よりも、そういった無駄に思えるところだったりするので。

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