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人間が演奏していれば必ず「人間性」は出るのか? いや、出ません

こちらの記事、

k-yahata.hatenablog.com

を読んだであろうとある著名なミュージシャンが「人間が演奏すれば必ず人間性が出る」とSNSでおっしゃっていました。

しかし、僕はそうは思いません。

人間が演奏していても、人間性というか人間そのものを全く感じないことは大いにあります。

もちろん、プレイヤーは人間として、ステージなり画面の中で、ちゃんと演奏しています。

が、そこに人間らしさを全く感じない、従って心がなにも動かされない、という現象を僕は「人間がいない」とよびます。

こういった演奏は本当に多いです(特にジャズw)。

ここでひとつ重要なことは、主観と客観の相違です。

主観(演者)では、当然、人間が演奏しているつもりです。

しかし、観客から見ると、「人間がいない」ようにみえることがあります。

ざっくり言うと、「なんかつまんない」ということです。

この「なんか」の中に、人間がいない、人間性が感じられないということがふくまれると僕は考えます。

この「なんか」を最も敏感に感じ取るのは、音楽未経験者です。

人間がやっているんだから人間性が出て当たり前、というのは、演者が陥る主観のブラックホールのようなものでしょう。

私という「人間」がここで声をからして歌っている、だから人間性が出て当たり前だ、そして、他の演者もそうだ……

これはどこまでも主観に過ぎません。

「けど、他人から見たらどうだろう?もしかして……」という視点を持てば、少なくとも「必ず人間性が出る」とは言えないはずです。

人間が演奏しているからといって、誰でももらえるお菓子のおまけのように、そう簡単に人間性は出ません。

そんなもんなら、誰もが名優、名プレイヤーです。

しかし現実にそうはならないから、俳優は舞台上でより「人間」であるために苦心し、ミュージシャンは人間性を記号に奪われてしまわないよう研鑽するのではないでしょうか?

自分という人間がやっている、という主観に甘えると、こんにちのジャズみたいに、客性には同業者か一部のマニアしかいない、という悲惨な状態になってしまいます。

そうならないためには、客観的視点を鍛えるべきです。

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