リスナーは音楽の何を聴き、何を観ているのか?

これまで、演奏と人間について論じてきましたが、今度はリスナーと人間について考えてみたいと思います。

これまでの流れは以下の記事です。

k-yahata.hatenablog.com

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リスナーは、音楽の何を聴いているのでしょうか?

ライブでは、何を観ているのでしょうか?

また、音楽を見聞きしたとき、何をもって「いい」と感じるのでしょうか?

もちろん、十人いれば十通りの見方、聴き方があるはずですが、そこに何か共通する要素はないのでしょうか?

 

僕は、リスナーは無意識的に「人間」を観ている、「人間」(らしい音)を聴いているのだと思います。

あるいは、音楽に人間を探している、と言い換えてもいいでしょう。

どんなリスナーも――楽器ができなくても、音楽ファン歴が浅くても、嗜好が偏っていても――、音楽から「人間」を正確に嗅ぎ分ける能力を持っています。

そして、そこに人間がいなければ自分の中に反応が起こらない(琴線に触れない)→だから「いい」と感じない、というメカニズムがあると考えます。

そう考えると、様々な謎が解けてきます。

ジャズライブに人が集まらないのはそこに人間がいないから、一方でジャズの世界でいつまで経っても40年代、50年代の音源が好まれるのは、そこに人間がいるからでしょう。

ロックがジャズよりも広まったのは、より人間臭いから、アイドルに人が集まるのは、未熟だけど人間として一生懸命やっているからでしょう。

ミュージシャンは技術の熟練と共に、必ず人間をどこかに置き忘れてしまいます。

これはある種の宿命と言ってもいいでしょう。

ブレないタイム、安定したタッチ、高度なテクニック、多彩なバッキング……、苦労に苦労を重ねてそれらを獲得した代償として、必ずといっていいほどそのプレイヤーの演奏からは「人間性」が損なわれてしまいます。

恐らく、そうならないプレイヤーを「天才」と呼ぶのでしょう――ジミヘン然り、イングヴェイ然り。

 

音楽の世界では、オーディエンス獲得のため、様々なアイデアやマーケティングプランが存在します。

確かにそれらも大事でしょうが、それ以前に、ミュージシャン自身が人間性を損なっていないかを再確認することも同等かそれ以上に重要ではないでしょうか?

高い演奏技術にかまけて観客や共演者を無視してはいないか、身の丈にあった歌を歌えているか――大した人生でもないのに、ビリー・ホリデイみたいなハードライフを送った歌手の歌い方だけをマネをして歌っていないか――、記号と時間(タイム)を上手に合わせたらOKだと思っていないか、そういう演奏はしていないか、身も心も燃え尽きるような演奏をしているか……。

プレイヤーが人間として自分の中にあるものを全部出せば、必ずリスナーには何かが届きます。

僕もほんのわずかですが、フリージャズでそういうことをやっていたとき、演奏に心を動かされた人がいました。

これは文章も同じで、「ギタリスト身体論」や「ジャズに人が集まらない理由」などでは、吐きそうになりながら自分の全部を出したところ、かなりの反響が起こりました。

音楽もそうですが、文書からも人は「人間」をかぎ取るのでしょう。

 

プレイヤーが技術を磨くのは当然です。

しかし、どんなに高度な技術も、人間性がなくては誰も見向きもしてくれません。

人間性のない演奏に興味を持ち、評価してくれるのはごく一部の同業者か、マニアだけです。

そういった音楽やプレイヤーに対し、「こんなに上手いのに売れてない、評価されてないのはおかしい!」と言う人がいますが、全然おかしくも何ともありません。

人間味のない機械みたいな演奏が売れない、評価されないのは当然でしょう。

リスナーは、あなたの扱う記号ではなく、その記号をきっかけとして、あなたという人間を観たり聴いたりしています。

そして、そこに人間性が感じられなければ「いい」とは思ってくれません。

蛇足ですが、それは生楽器か電子楽器かという問題ではありません。

もっと感覚的なものです。

しかし、どんなライトなリスナーも本能的にあなたの音楽から「人間」をかぎ取る嗅覚を持っています。

そこを対象に音楽をするか否かで、結果は違ってくると思います。

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