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日本人と西洋音楽 5 日本人の几帳面さは西洋音楽と相反してしまう

日本人は自他共に認める几帳面な人種です。

中でも、「時間」と「ルール」に関しては異常なほど遵守したがり、その枠に入っている方が落ち着くというちょっとマゾな性質があるようです。

またしても、これは西洋音楽と相反してしまいます。

 

まずタイムです。

日本人は先天的にグルーヴが体感できないので(日本人と西洋音楽 4 先天的に「グルーヴ」が分からないことの弊害 参照)、タイムを数学的な時間として認識するところから入ります。

そして、日本人の習性として、そのタイムを「正確であればあるほどよい」と盲目的に認識し、正確さに音楽的価値を置き、正確であればあるほど称賛します。

確かに、音楽を成立させるためにタイムはあるレベルまでは正確でなければなりません。

しかしあるレベル――それは決して神がかり的なレベルではなく、練習すれば誰でも到達できるところ――を越えれば、あとはもうグルーヴで勝負するべきなのです。

それなのに日本人は、どこまでいってもさらなるタイムの正確さを目指し努力します。

その結果、上手いけど『なんか違う』演奏になってしまうのでしょう。

 

また、日本人の几帳面さは、ソロにも響してきます。

そもそも、西洋音楽におけるかっこいいソロや名演といわれるものは、日本人の性質とは相容れないものです。

しかも、そこには概ね黒人的なエッセンスが多く含まれているので、それらを習得するためには、日本人が本来持ち合わせている感覚と真逆の方向に進まなくてはならないことが多いのです。

例えば、コード進行があり、それらに合うスケールやフレーズが存在します。

一般的な日本人なら、コードにスケールやフレーズをきっちり当てはめて丁寧に弾こうとします。

しかし、そんなことをするとソロは極端にダサくなってしまいます。

そうならないために、コードやそれらを区切る小節をまたぐように弾いたり、あるときはコード感を無視したり、また、わざとコードに合わない音を弾いてみたりしないといけないのです。

これはジャズでもロックでもファンクでもメタルでもだいたい同じです。

例えば、ロックならヴァン・ヘイレンやイングヴェイのソロを聴いて、譜割りを研究してみれば、いかにソロがコードや小節にきっちりと収まっていないかが分かるでしょう。

ジャズは言うまでもありません。

このように、小節がありコードが配置されている中で、あえてそれらの秩序を破るという行為を、日本人はかなり苦手とします。

これもやっていくうちに「ああ、もっと適当でいいんだ」と分かってくるのですが、そこまで到達するのにもかなりの苦労を強いられます。

まあ、西洋人にもきっちりした人は沢山いますが、日本人ほどルールを破ることに罪悪感を持たないようです(音楽然り、社会生活然り)。

そういった意味で、やはり日本人が西洋音楽をやるときにはハンデのようなものが存在していると考えていいでしょう。

 

ちなみに、僕のレッスンでは、こうした日本人の几帳面さを逆手に取って、譜割り通りちゃんと弾かないということをルールとして最初に提示するようにしています。

そうするとだいたい、そのルールに則って、小節をまたいだり、コードチェイスしないように頑張ってくれます。

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