八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

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日本人と西洋音楽 2 日本人特有の「作り変え」は黒人音楽に適応されない


八幡謙介ギター教室in横浜

日本人は、昔から、異文化を輸入し、それらを自国に合わせたかたちに作り変えてきました。

漢字、律令制度、仏教、明治維新後の国家制度、クリスマス、バレンタイン、漢語、和製英語などなど。

それらはもはや輸入品と言えないほど、我々の生活や文化に根付いています。

また音楽においても、海外から輸入されたロックやポップスは、アイドルやヴィジュアル系など日本独自のものに進化を遂げ、改めて海外に輸出されるまでになりました。

しかし、こういった「作り変え」が適合できないものもあります。

そのひとつが黒人音楽でしょう。

 

もちろん、日本にはジャズやブルースは定着していますし、ヒップホップも社会的に認知されています。

しかし、それらがアイドルやヴィジュアル系のように日本独自のものに進化を遂げたかというと、そうは思えません。

ではなぜ黒人音楽だけが日本人が得意とする「作り変え」に適応されないのか?

なぜ日本人は黒人音楽を独自のものにできないのでしょうか?

 

 

結論から言うと、黒人音楽は土着的な色合いがあまりにも濃いため、本質的に作り変えることが許されないからです。

例えば、剣道で考えてみれば分かりやすいと思います。

外国人が、独自のデザインで作られたお洒落な(?)道着や防具を身に纏い、アクロバティックな技を競い合い、相手に勝ったらバク転したり、サンバを踊ったりと全身で喜びを表現する……こんな剣道はアリですか?

もちろん、そんなものはもはや剣道ではありませんよね。

なぜなら、剣道という競技では競技性よりも様式や礼節が重要だからです。

つまり、形式や容態よりも中身が大事だということです。

 

黒人音楽もそれと同じです。

剣道から日本的な美意識や概念が外せないのと同じで、黒人音楽からは黒人的な美意識や概念を外し、他人種に適合するように作り変えることはできないのです。

私見ですが、ロックやポップスは比較的そういったことが許される音楽であると思います。

だから日本人に作り変えることができたのでしょう。

 

 

さて、黒人音楽は、どうやら我々が得意とする「作り変え」ができないと分かりました。

ではどうするか?

とにかく分かるところだけ(できるところだけ)頑張ってみるしかありません。

分かるところ(できるところ)とは、テクニック、ハーモニー、理論などです。

しかし、それらは表面的なものでしかなく、黒人音楽で本当に大事なものは、グルーヴやフィールです。

そして、それらは作り変えることはできません。

アフリカン・アメリカンの、さらに言えばアフリカの感覚をできるだけ再現するしか方法がないのです(剣道において日本的な礼節を身につけるようなもの)。

しかし、日本人は黒人音楽を日本的に作り変えることができないと分かると、その一番大事なグルーヴやフィールに蓋をしてきました。

僕が今まで習ってきた先生や、共にジャズを学んだ日本人学生、共演した日本人ミュージシャンたちと黒人特有のスイングやフィールについて議論したり研究したり再現を試みたことはほとんどありません。

特に、ジャズを習ってきた日本人の先生から「スイング」という単語を聞いた記憶がほとんどありません。

また、日本人ジャズミュージシャンのライブを観にいっても、本当にスイング感を大事にして演奏していると感じられる人は、ごく一部を除きまったくいませんでした。

 

 

一般的に、日本人は16ビートのフィールが苦手で、だから黒人音楽がイマイチ再現できないと言われています。

しかし、僕はもう少し問題は根深いと考えます。

日本人が黒人音楽をイマイチ再現できない、自分のものにできないのは、その土着的なグルーヴやフィーリングを日本的に作り変えずにそのまま掴み取ろうとする努力をしないからだと思います。

日本人は、日本独自の文化が海外に広まった際、できるだけそれを日本的に行わせようとするくせに、海外の文化が日本に入ってくると、すぐにそれを独自のものに昇華しようとします。

もちろん、それでいい場合もあるのでしょうが、黒人音楽のように、どうしてもそういった「作り変え」が適応されない場合もあるのです。

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