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西洋音楽に「守破離」という概念を当てはめるべきではない

西洋音楽、特にアドリブ的要素の強い音楽を教えていると、日本人的な考え方、取り組み方が習得や上達を邪魔しているということがよくわかります。

その根源的なものは「守破離」という考え方です。

ざっくり言うと、最初はきちんと、やがてそれを破って独自のものを行っていこう、という段階の踏み方です。

日本人はことさらこの段階を踏むのが好きで、どんなジャンルでも「最初はきちんとやれ」と言われます。

この「きちんと」に問題があるのです。

 

例えば、ソロを「きちんと」弾こうとすると、だいたい小節の頭から始まって、コードトーンやスケールをちゃんと使い、それらをコード内にちゃんと組み込んでフレーズを弾こうとします。

ある程度アドリブをやっている人ならわかると思いますが、これはやってはいけないことです。

ですから、アドリブでは早々にこうした「きちんと」した弾き方から抜け出す必要があるのですが、例の「守破離」が邪魔をして、日本人はこの「きちんと」を徹底して練習してしまいます。

とはいえ、それを守った後は離れていけばいいんじゃないかと思いますが、そう簡単にはいきません。

長年やってきた習慣は、ちょっとやそっとでは離れてくれません。

「きちんと」したアドリブを長年やってきた人は、そこから離れて、本当の意味でちゃんとした――小節をまたぐ、コードトーンをチェイスしない、など――アドリブにしていくために相当苦労しています。

 

例えば、伝統的な技術などでは、「守」から「破」に移ったとしても、「守」で学んだことは生きているのでしょうが、ジャズやブルースなどの西洋音楽では、そうした学びの体系は存在しないといっても過言ではありません。

特に黒人音楽は、ちゃんとしないこと、ズレていることがヒップでありクールだという黒人の感性に根付いているので、「守」という段階がないのです(もちろん、楽器を扱うに際しての基礎や、ハーモニーの基本などはありますが)。

ですから、そうした文化に根付いている音楽を学ぶ際は、いきなり「破」から入るべきだと僕は思います。

言い換えれば、「破」が「守」になるのです。

アドリブをやっているけど、なんか行き詰まっている、フレーズはちゃんと弾けているのになんだかかっこ悪い、と感じる方は、恐らく「守」が長すぎてそれを破れなくなってしまっているのでしょう。

まあ、日本の音楽界ではかっちりしたものもある程度受け入れられる土壌があるのでそれはそれで構わないかもしれませんが。

これからアドリブをやる人は、最低でも「フレーズを小節に収めない」「コードトーンやスケールを綺麗に当てはめない」というところから入るといいでしょう。

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