「他人の意見を聞く」と「誰の意見も聞かない」は同居していなければならない

他人の意見を聞くことはあらゆる場面で大事だとされます。

これには全く異論はありません。

しかし、その前提として、誰の意見も聞かない自分も同時に存在していなくてはなりません。

そのことについてご説明します。

 

他人の意見を聞くことがなぜ大事かというと、自分にない価値感を学べるからです。

自分の考えに捕らわれているとすると、自分という一人の頭から浮かんだこと、自分という一人の経験値から得たことしか学んだり応用したりできないのですが、他人の意見を聞く場合、単純に自分以外の何十人何百人の思考や経験を参照することができますし、歴史上の偉人からも学ぶことができます。

だから人は他人の意見に耳を傾けるべきなのです。

が、

ここで大事なことがひとつあります。

それは、他人うんぬんの前に「自分」はあるのか、ということです。

「自分」の考えや行動規範がなにもない状態で他人の考えを聞き、それに従うことに意義はあるのでしょうか?

恐らく、ないと思います。

何故かというと、そこに葛藤や衝突が存在しないからです。

「他人の意見を聞く」(そしてそれに従う)ことで重要なのは、ただ単に他人の意見を取り入れることではなく、他人の意見により、それまで持っていた自分の価値感や認識を揺さぶられ、その結果不要だと思われるものを捨て、新しい価値感や認識を手に入れ、それを規範として新たに行動することだと僕は思います。

一言でいうと「殻をやぶる」ということです。

この場合の殻とは、それまで持っていた「自分の意見」のことです。

この殻が強力であればあるほど、それが破られたときの変化は大きくなります。

 

「自分の意見」がない人は、殻を破ることができません。

そもそも、破るほどの殻(自我、自分の価値感等)がないのですから。

また、「自分の意見」がない人は、「他人の意見」が本当に有意義かどうかを計ることができません。

「他人の意見」に対し「自分の意見」をぶつけ、どちらが有意義かを比べ、その結果悔しいけど他人の意見の方が有意義らしいとわかり、そちらを取り入れたときに自分の中に変化が現れるはずです。

そういった葛藤や争いが一切なく、ただ単に他人の意見をあれもこれもと取り入れるのは危険であると僕は思います。

 

ですから、「自分は宇宙一正しい!」という思い込みと、「誰の意見でも耳を貸し、有意義であればすぐ取り入れる」という価値感は同居しているべきなのです。

そうでなければ、本当の意味で「他人の意見を聞く」ことはできないと僕は思います。

思春期に誰の意見も聞かなかった不良が、大人になるともの凄く分別のある人格者に育つという例も多いですしね。

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