ジャズギタリストの多くは、次のような変遷を辿っています。
・ロックを始める
・ライブなどの活動を行うも、ロックのパフォーマンスになんとなく疲れてくる
・ジャズを知る
・ジャズならロックみたいにパフォーマンスしなくてもいいと勝手に解釈
・ジャズギタリストになる
ざっくり言うと、「ロックみたいにパフォーマンスしなくていい」という消極的な理由でジャズを好み、この道に入ったという人が少なからずいます。
だからジャズギタリストはおおむね大人しく、シャイで、ロックギタリストみたいにはじけた人はあまりいません。
もちろんジャズを目指す人が最初から上記のような意志を明確に持っていたわけではありません。
しかし、ジャズギターを学んでいく仮定で、「パフォーマンスをしなくていい」という勘違いは絶対に植え付けられているでしょうし、それが楽だとも感じているはずです。
ではそもそも「ジャズギターはパフォーマンスを免除されている」という考え方はどこから来たのでしょうか?
ひとつは、ロック以前のジャズギタリストの演奏から、もうひとつは、身近な先輩からです。
ロック以前のジャズギタリストは、当然ロック的なパフォーマンスはしません。
しかし、彼らは演奏そのものが最大のパフォーマンスになっているので、それで成立していると感じます。
さて、問題は身近なジャズギターの先輩です。
服装も地味(というかダサい)で、ライブ中もずっと譜面を見ていたり、ずっと椅子に座っていたり、MCもぼそぼそしているし、とにかくロック的なステージとは対極にある印象を誰でも受けるでしょう。
しかし、それが魅力的に感じる人も多いかと思います。
『そうか!ジャズはロックみたいにパフォーマンスしなくてもいいんだ』と。
……「しなくてもいい」のではなく、単にその人がしていないだけなんですが、ジャズ初心者には逆にそれが新鮮に映り、ジャズはパフォーマンスを免除されている音楽であると勘違いしてしまいます。
そうして新たにつまらないギタリストが量産されていきます。
偉そうに上から言っていますが、僕自身まさしくこのタイプでした。
それ自体は深く反省していますし、自分で気づいて抜け出せた(つまらない演奏をやめた)ことにほっとしています。
いずれにせよ、パフォーマンス的なことを全く度外視した演奏は、現代ジャズの悪しき伝統だといえるでしょう。
だから人が集まらないということは拙著「ジャズに人が集まらない理由」で考察しています。
ジャズギターは一般的に、単純なロックに厭きた人がさらなる冒険を行うための音楽だと考えられています。
が、見方を変えると、ロックギターのパフォーマンスからすごすごと逃げ出した人がたどり着く墓場だとも言えます。
そのどっちのタイプであるかは観客から見ればすぐにわかります。
前者はキラキラして明るく、情熱的で、楽しい演奏です。
後者はジメジメしていて暗く、どこか寒く、どれだけ上手くてもつまらない演奏です。
観客がどちらを聴きたいかは言うまでもないでしょう。