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記号を越えた先に本当の音楽がある

演奏には二種類あります。

記号に支配されたものと、記号を越えたもの。

前者はいくら上手でも冷たく、遠い印象です。

後者は下手でもなにがしか伝わるものがあるはずです。

 

記号を正しく演奏しようとすると、途端にプレイヤーは記号に取り込まれてしまいます。

これは比喩でもなんでもなく、本当に記号に埋もれて縮こまっているのがありありと分かります。

適当なジャズライブに行って、譜面を見ながら弾いている人をよーく観察してみればそれが分かると思います。

あの縮こまった感じ、遠い感じ、自分の世界に入っている感じ、つまらなさ、存在感のなさ……あれが記号に取り込まれている状態です。

そうした記号に取り込まれた状態を打破した先に本当の音楽があると僕は思います。

これは別に、方法論としてのフリージャズやノイズのことを言っているのではなく、最初から最後までアレンジが決められたものでも同じです。

「正しく弾こう」「間違えずに弾こう」「上手に弾こう」とすると、途端に記号に取り込まれてしまいます。

重要なのは、それらの記号を自分が使役することです。

 

例えば、誰でも弾ける簡単なリフだけど、あの人が弾くと全然違う!ということがあると思います。

恐らく、どれだけそのリフを”正確”に弾いても、同じようにはならないでしょう。

それはその人が記号を弾いているのではなく、本当に音楽を演奏しているということです。

ミュージシャンとして目指すべきはそういった演奏ではないでしょうか?

ではそうやったらそこにいけるのか?

日本では概ね「まず正確に、次いで個性を出す」と教えられます。

恐らく、「守・破・離」からきたものでしょう。

これもひとつの方法論だとは思いますが、絶対だとは思えません。

というのは、この「まず正確に」が最大の目標となり、ひとたび正確な演奏ができるようになってきたら、それを文字通り”守”ってしまい、”破”れない人が多いからです。

ですから、僕の教室では、できるだけ早い段階から正確でないことを教えるようにしています。

その意味がどれだけ伝わっているかはわかりませんが。

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