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楽器の合理的な演奏について 技術の合理化はゴールではない

2009年に「ギタリスト身体論」を刊行して以来、いろんな意見に耳を傾けてきました(傾ける必要のないものも一応)。

ギタリスト身体論 ー達人に学ぶ脱力奏法ー

ギタリスト身体論 ー達人に学ぶ脱力奏法ー

 

で、最近ようやく分かってきたのは、多くの人は、楽器の演奏における技術を合理化することそれ自体が目的だと考えているらしい、ということです。

 

例えば、ギターにおける左手の運指。

これを合理化するためには、身体論2に書いている「肘の前後」「前腕の回転」「手首の屈伸」「肩の回転」の基本4動作に加えて、指を立てて比較的爪の近くで押さえる押弦を正しく行う必要があります。

ただ、僕はここから先については一切書いていません。

なぜかというと、ここから先はそれぞれが演奏するジャンルによって違ってくるので、本には書けないからです。

ギタリスト身体論 2-脱力奏法の実践と応用 - CD付

ギタリスト身体論 2-脱力奏法の実践と応用 - CD付

 

メタルの人にとっての正解が、ジャズの人にとっては不正解になってしまう、もちろん全てのジャンルの全てのケースを網羅することはできない、じゃあ基本的な身体操作だけを書いておき、あとは各々で工夫してもらえばいいか、というコンセプトです。

しかし、そのせいでどうやら間違った捉え方をしている人がいることが分かってきました。

 

合理化すれば全てをカヴァーできるわけではない

間違った捉え方のひとつは、身体操作を合理化すれば全てのジャンルを弾きこなせるというもの。

これは幻想です。

上記の身体操作は、単に運動を合理化しただけで、音楽固有のフィールといったところまでは踏み込んでいません。

確かに、身体操作を合理化すればどんなジャンルにも踏み込みやすくなります。

しかし、それぞれのジャンルで自分が表現したいものに対する最適な運指を会得するためには、ここからさらに精進しなくてはなりません。

合理的な身体操作は、何でもできる魔法の技術ではないのです。

 

合理化がゴールではない

身体操作の合理化は、入り口であり、ゴールではありません。

一度合理的な身体操作を会得したら、さらにそこからジャンル固有のフィールを会得するために改良を加えていく必要があります。

例えば、50年代のジャズギターのダイナミックなタイムを表現したいとします。

その場合、僕の教本にあるような合理的な運指では絶対に表現できません。

そこで、あえて指をバタバタと大げさに動かしてみます。

するとタイムが揺れて、昔日のジャズギターに近くなってきます。

 

重要なのは、まず合理的な運指を体得し、そこからさらに音楽的な表現をするために、あえて非合理的に指をバタバタと動かしている、という点です。

僕がいう身体操作というのは、そういうものです。

合理性で止まってしまうのは、僕のメソッドとは全然違います。

合理性を捨てないと表現できないことがあれば、躊躇なく捨てる必要があるのです。

とはいっても、こういったことは本ではなかなか説明し辛いので、伝わらないのでしょう。

 

言うまでもなく、音楽は表現です。

そして表現は必ずしも合理性のうえに成り立っているとはかぎりません。

あえて指をバタバタさせないと出せないフィールや、喉を締め付けるようにしないと出ない声があり、それがないと表現として成立しない場合もあるということです。

 

ギタリストの方は、「合理的な運指を習得したい」「合理的なピッキングを習得したい」と思っているかもしれませんが、では、それを習得にて何を表現したいのでしょうか? 

その表現したいことは、本当に合理的な運指やピッキングで行えるのでしょうか?

そういったことも一度考えてみてください。

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