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ネット社会における客観的意見の考察 自分の中に他人を作る

表現は、ただ自分が行うことではなく、それを観た人の客観的意見が重要であると以前書きました。

では、その他者の意見は全て正しいのか、全て受け入れるべきなのでしょうか?

これは非常に難しい問題です。

 

確かに、他者のリアクションや意見には客観性が存在します。

しかし一方で、その人がジャンルや芸術そのものをどれだけ理解しているかという問題もあります。

例えば、高校生がマイルスを聴いても恐らく何も感じないどころか、ネガティヴな意見の方が多く出てくるでしょう。

ではその高校生の意見は客観的意見として尊重するべきかというと、そうではありません。

まだ子供だから分からない、と笑って済ませて終わりです。

また、もっとやっかいなのは、客観性の笠を着て自己主張をする輩がいることです。

ある程度の知識や経験をちりばめ、いかにも客観的に中立な立場でものを言っているという風を装って、内心は相手を見下したい、自分の方が上だと認めさせたい、ちょっと有名なやつの足を引っ張りたいという欲求を満たすため、ネットの力を借りて暴れ回っている輩が現代には多く存在します。

これを「客観的意見」としてカウントしてしまうとすぐに自分が潰れてしまいます。

 

と、このように、他人の意見は全てにおいて公平な客観性があるかというと、そうではないのです。

一昔前なら相手を見て、「ああ、子供だから分からないのか」とか「この人やたらとギスギスしてるから俺に敵対心持ってるんだろうな」と判断できましたが、ネット社会ではなかなかそういった判断ができません。

ではどうすればいいかというと、自分の中にできるだけ公正中立な他人を作ることが一番手っ取り早いと思います。

もちろん、これも容易ではありません。

どうしたって自分に甘くなりがちですし、リアルな他人の意見を聞くよりもむしろより排他的になる可能性もあります。

しかし、上手に自分を律することができれば、ネットの意見の何倍も客観的な視点を、あくまで健全に自分の中に作ることができると僕は思います。

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