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表現とは何か? 表現における他者の役割

前回の記事で、技術は表現に奉仕すると書きました。

k-yahata.hatenablog.com

では、「表現」とは何かを考えてみましょう。

 

「表現」には他者が必要

「表現」は、必ず他者に向けて行われる行為です。

では、他者に向けて何かを行えばそれが全て「表現」になるのかというと、答えはNOです。

重要なのは、演者である自分が行うことではなく、他者がその「表現」をどう受け止めるか、です。

簡単な例でかんがえてみましょう。

 

表現には結果がある 表現の成功と失敗

例えば、『明るく見られたい』という欲求があるとします。

その欲求を満たすため、他者に向かって何かを実践することが「表現」です。

あれこれと考えた末、常に笑顔でいることを実践してみることにしました。

一般的に、「私」が「笑顔でいる」ことを実践している=「表現している」となりますが、これではまだ不十分です。

重要なのは、単に「笑顔でいること」ではなく、本来の目的である「明るく見られる」ことが成功したかどうかです。

笑顔でいることで、他人から『明るいね』とか『いつも楽しそうだね』と言われたり、自然と人が集まってくるようになったりすれば、「表現」は成功です。

逆に、いつも笑顔を実践しているのに、なぜか人が集まってこなかったり、陰で『あいつへらへらして気持ち悪いよな』とか、『作り笑いがうさんくさい』などと陰口を言われてしまっていたら、「表現」は失敗です。

このように、「表現」は、他者に自分の意図する感情をもたらすことが目的であり、自分が「表現」という行為をただ行うことではないのです。

 

音楽における表現

音楽で考えてみましょう。

例えば、「熱いインタープレイ(相互に働きかけるアドリブ)をお届けします」、といったライブ があるとします。

多くのジャズライブはこういった謳い文句を掲げています。

では、演者たちがそれぞれの思う「熱いインタープレイ」を行えば、その時点で表現として成立するのかというと、もちろんNOです。

重要なのは、観客が熱くなること、そして、観客がプレイヤー同士の相互の働きかけ(インタープレイ)を感じられることです。

残念ながら、ほとんどのジャズライブでは僕はそれを感じません。

確かに、記号と記号は絡み合っていますが、それを演奏している人間を見ていると、お互いに無視しあっているように見えたり、譜面に没頭していたり、ただやる気なさそうだったり、誰に向かって演奏しているのか分からなかったり……なにより、観ていて全く熱くなってきません。

これはつまり、表現の失敗です。

しかし、多くのミュージシャン(等にジャズ)は、自分が行うことが「表現」だと勘違いしており、その自分の「表現」を感得できない観客に非があると考えてしまいます。

だからどこまでも引き籠もってしまうのでしょう。

その結果、人が集まらなくなり、そのジャンル自体が衰退してしまう、ということはジャズを見ていればよくわかります(下記リンク「ジャズに人が集まらない理由」参照)。

 

表現に客観的視点を

表現者にとって、最も重要なのは、客観的視点です。

ある表現をしたとき、他者はどう感じるのか?

暖かい気持ちになれる曲を書いたとしたら、他人はそれを聴いて本当に暖かい気持ちになるのか?

元気になれる演奏をしたら、他人は本当に元気になるのか?

クレッシェンドを弾いたとき、観客はそれをクレッシェンドだと認識するのか?

レイドバックで弾いたとき、観客はそれをレイドバックしたグルーヴだと感じるのか?

そういったこと疑わず、ただただ「自分」が何かをする類いの行為は、表現とはいえません。

 

ちなみに、こういった考え方は、僕が5年ほど前から師事している武道家の日野晃先生のワークショップで学んだものです。

著書も多いので、興味のある方は調べてみてください。

www.hino-budo.com

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