演奏技術は何のためにあるのか? 表現と技術について

連日、演奏技術や上手さについて書いてきました。

音楽は技術ではない、上手い=いい音楽とは限らない、という僕の意見に賛同してくださる方が多く、ほっとしています。

では音楽に技術は不要かというとそんなことはありません。

じゃあそもそも、音楽における技術とは何なんでしょうか?

今日は、そういったことをかんがえてみたいと思います。

 

何のための技術?

楽器の演奏技術は、何のために獲得するものなのでしょうか?

それは物理的正確性を得るためでしょうか?

僕は違うと思います。

演奏技術は、イメージを具現化するために獲得するものです。

そのイメージは、ときに物理的正確性を要求するかもしれず、またときにはそこから逸脱したルーズな演奏を要求するかもしれません。

そうした様々なイメージを音として具現化するために演奏技術が存在し、ミュージシャンはそれを獲得することを要求されているのだと僕は思います。

いずれにせよ、高度な技術=物理的に正確な演奏ではないということです。

 

技術は表現に奉仕する

音楽において、技術は物理ではなく、表現に奉仕します。

ルーズなタイムを表現したければ、それを具現化する技術が要求されます。

あえてぼそぼそとした発声で歌うことが求められる場合は、そのための技術が要求されます。

このように、演奏技術は、まず「何が表現したいか」があり、その目的に奉仕するかたちで生まれてくるものであり、表現したいことを無視してただただ正確性を追求するものではないのです。

表現したいことが不正確で曖昧なものであれば、それを具現化するための技術を獲得しなければならないということです。

このように、まず表現したい何かがあって、次に技術があるのです。

ということは、音楽的に表現したいことがなければ、獲得するべき技術が存在しなくなります。

そういった、表現したいことがない(見つけられない)人が、ただただ物理的に正確な技術を追い求め、それを軸にして音楽を演奏するのでしょう。

その結果、どういった音楽になるかは言うまでもありません。

 

表現欲求のない技術は響かない

表現を目的としない技術は、人に響きません。

それは単なる技術でしかなく、どこか冷たい印象を人に与えます。

逆に、表現欲求のために獲得された技術は、それが物理的正確性を伴わないとしても、人の心を打つ何かを秘めています。

ぼくは22年ぐらいギターを弾いてきて、ようやくこの当たり前のことが分かってきました。

遅いような気もするし、でもやっぱりこういったことを理解するまでにそれだけの年月がかかる気もします。

これからミュージシャンを目指すキッズはもちろん、プロも、いちど技術と表現について再点検してみるといいかと思います。

「自分は何が表現したいのか?」

この問いに答えがない人は、ちょっと危ないですよ…… 

楽器は真面目に練習すな

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