目的を持った練習の危うさ 練習が合理化されると「無意味の排除」がはじまる

練習には目的が大事だとされます。

僕も、大筋ではそうだと考えます。

しかし、目的を持った練習は、危うさも含んでいます。

それは、「無意味の排除」です。

たとえば、ジャズのアドリブが弾けるようになりたいという目的があったとします。

そうすると、その目的を達成するために、練習や日常が合理化されていきます。

その合理化がある点を超えると、「無意味の排除」がはじまります。

 

たとえば、ジャズを学んでいるのだからロックを聴いても無意味だとか、ソリッドギターを触るのは無駄だとか、目的と(一見)関係のないものをどんどん排除していくといった考えです。

しかし、ある程度ものごとを続けていると、本来の目的と全く関係ないことが一番役に立っているということが多々おこってきます。

僕でいうと、武道や身体操作系のワークがギターに役に立ったり。

 

また、本来の目的と違うことを行うと比較が可能となります。

例えば、あえて8ビートを練習してみることでスウィングとの比較を再認識し、スウィングがより理解できるようになる、ということは十分あります。

そういったことを「無駄」とか「無意味」と考える人の方が、かえってスウィングを掴み辛いと思います。

 

では目的がないのがいいかというと、恐らくそれもよくありません。

たぶん、合目的的な練習と、そうでない好き勝手な練習を半々ぐらいにしておくのがいいんでしょう。

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