八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

日本人と西洋音楽

日本人と西洋音楽 12 日本人独特の「ねばならない」が音楽活動を窮屈にしている

日本人は社会的ステータスにうるさいと僕は思います。 日本では社会の各階層や年齢において「ねばならない」がびっしりと決まっており、そこに当てはまらない人や物事を「負け組」などとひとくくりにして卑下する傾向があります。

日本人と西洋音楽 11 大御所に何かと甘い日本人

日本人は、大御所と言われるアーティストに何かと甘すぎると個人的に思います。 例えば、本国では人気も実力も完全に衰えたアーティストでも、日本では大物扱いで、チケットも数万円というケースはいくらでもあります。

日本人と西洋音楽 10 昔の人のほうが”それっぽい”のは何故か?

西洋音楽、特にジャズにおいて顕著なのが、昔の人(2016年現在で還暦以上)の方がそれっぽい演奏をする人が多いということです。 技術もそうですが、それ以上に昔の人の方が音楽から感じる雰囲気とか空気感とかが本物っぽいのです。 これはちょっと不思…

日本人と西洋音楽 9 「まずちゃんと」という日本人独特の取り組み方は西洋音楽に相反する

日本人はちゃんとすることが大好きです。 これはもはや「好き」というレベルではなく、DNAに刻み込まれていると言ってもいいでしょう。 例えば、日本の伝統文化であれば、まずちゃんと学ぶことを僕もお薦めします。 しかし、ロックやジャズなどの西洋音楽の…

日本人と西洋音楽 8 自分の意見を言えない日本人と西洋音楽

前にも書いたことがありますが、とある有名ジャズミュージシャンYのコンサートを聴きにいったときのこと。 結論から言うと、最低のコンサートでした。 終わってから数人でご飯を食べに行ったのですが、そのとき同席した同年代のミュージシャンに「あの演奏ど…

日本人と西洋音楽 7 音楽それ自体の価値をなかなか判断できない日本人

日本人には、西洋人と比較して、音楽それ自体の価値を即座に判断できない傾向があります。 例えばあるアーティストを初めて聴いたとき、それがいいものなのか、価値が高いものなのかを付帯情報なしに判断することをなぜかためらってしまいます。 そうして、…

日本人と西洋音楽 6 オリジナルであることを求められる音楽と、それを躊躇する日本人

西洋音楽では、オリジナルであることが強く求められます。 誰々風の演奏は、仮に音大の授業であっても強く戒められることもあります。 また、プロが誰々風の演奏をしていれば、「なんでこの人は自分の演奏をしないんだろう?」と不思議がられ、能力を疑われ…

日本人と西洋音楽 5 日本人の几帳面さは西洋音楽と相反してしまう

日本人は自他共に認める几帳面な人種です。 中でも、「時間」と「ルール」に関しては異常なほど遵守したがり、その枠に入っている方が落ち着くというちょっとマゾな性質があるようです。 またしても、これは西洋音楽と相反してしまいます。

日本人と西洋音楽 4 先天的に「グルーヴ」が分からないことの弊害

音楽用語の「グルーヴ」というものを、日本人は先天的に理解、体感することができません。 なぜかというと、(西洋的な)ダンスをする習慣がないからです。 今では学校でダンスが必修となっているようですが、結局義務としてやらされるだけで、文化や生活に…

日本人と西洋音楽 3 日本人が目指す完成型と西洋音楽は相容れない

日本人が何らかの技術を磨きその完成を目指していくとき、必ずみられる傾向があります。 まずはそれを考察してみましょう。 日本人にとって、技とは、単なる表現のためのツールではなく、それ自体を研鑽しつつ、同時に己の精神を磨くために存在します。

日本人と西洋音楽 2 日本人特有の「作り変え」は黒人音楽に適応されない

日本人は、昔から、異文化を輸入し、それらを自国に合わせたかたちに作り変えてきました。 漢字、律令制度、仏教、明治維新後の国家制度、クリスマス、バレンタイン、漢語、和製英語などなど。 それらはもはや輸入品と言えないほど、我々の生活や文化に根付…

日本人と西洋音楽 1 日本人の「技術信仰」は西洋音楽本来の目的を転倒してしまう

西洋音楽はコミュニケイションのために存在します。 ダンスをしたり、ミュージシャン同士で音の会話をしたり、いずれにせよ、みんなでわーっと盛り上がって楽しもうぜ!という目的のために音楽が存在すると言っても過言ではありません。